私が礼拝出席している教会では昨日、一本のろうそくに火が灯されました。日曜日ごとに火を灯すろうそくが一本ずつ増えていきます。4本灯ればクリスマス礼拝です。昨日からアドベントと呼ばれる時期を過ごすことになりました。
アドベントのことを待降節ということがあります。これは「おいでになるのを待つ期間」との意味です。待ち望まれた救い主キリストが来られ、その誕生を祝うクリスマスを待つとの意味と、キリストが今一度この世においでになることを待つという意味があります。つまりこの期間を過ごすことは、キリストの来臨、再臨を私たちは待つ存在であることを確認する意義があります。
老人のキリスト者としては、キリストの再臨に関心が向かいます。キリストの再臨に続いて最後の審判が行われ、キリスト者としての私は神の国に迎えられるという希望が身近な希望になってきました。身近な希望にしたいとの思いです。その意味で、22日のクリスマス礼拝まで、キリストの再臨を待ち望む思いをもって日々を過ごしたいと思っています。
そのために、新約聖書の書簡を通読し、終末の事柄を語る聖句を拾い出し、味わうことを始めています。
エフェソ 1:14
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
洗礼を受け、たまものとして聖霊を受けたキリスト者は、御国を受け継ぐ者とされていることが保証されています。神さま、あなたに感謝し、あなたをたたえます。