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隠退牧師 holala によるブログ

聖書に描かれている罪(12)パウロの罪

テモテ一1:15
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

 イエス・キリストに出会う前のパウロは、熱心なファリサイ派の信仰者でした。この点について彼はこう述べています。

フィリピ3:15~16
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。

 パウロは神に仕える者として熱心にキリストの教会を迫害しました。それが正しい行為、神に対する熱心さから生まれた行動だと信じて疑わなかったのです。しかしダマスコ途上の道で彼は、復活されたイエス・キリストに出会い、イエス・キリストこそ、神が遣わされたメシアであると知らされ、キリストご自身から福音を宣べ伝える使命を与えられたのでした。誰よりも律法を行うことに熱心でだれにも負けないほどだと自分の義を誇っていたパウロはキリストとの出会いにより打ち砕かれたのでした。

 神に対する熱心さからの行動が実は神の御心に反していたのでした。このことに気づかされたとき、呆然としたのではないかと想像します。自分が見えなかったのです。自分が何者か分からなかったのです。それで自分のことを「罪人の中で最たる者です」と述べているのです。

 人間はどうしても自分は正しいと思いたいものです。意見が違えばそこに争いが生じます。人はいとも簡単に他者を批判します。自分は正しい者と思いたい、そこに傲慢という罪があります。そして人は自分を誇ります。

「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ9:41)。

 イエス様がファリサイ派の人々に語った言葉です。高慢、傲慢、思い上がり、謙遜さの欠如、自分を誇る、大きな罪です。神を見失っている人は、自分を大きくします。

 

 

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