救い
聖書が告げる救いとは滅びからの救いだと書かれています。ロマ書を読んで滅びを語ることをためらってはいけないと思うようになりました。
「信仰によって義とされる」とはどういうことなのか、考えたいと思います。
クリスチャンは救いの約束をいただいて、神の国を目指して人生を歩みます。
栄光を見るってどういうことでしょうか。栄光を見ると言っても、肉眼で見るわけではなく、見るなら心の目です。
ヨハネ福音書には神から遣わされたヨハネは光について証しするために来た、と書かれています。私もキリストの証し人として語ってみたいと思います。
旧約聖書は人間の罪を明らかにします。そして救い主を待望します。
創世記によれば、神は人間を造り、善悪の知識の木の実は食べてはいけない、食べると必ず死んでしまうと警告されました。なぜ?
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」。 キリスト者はつまずいていないのか?
幼い頃に抱いた死の恐れ。恐れるたびに心が傷つきました。それが神への恨みとなりました。
私が使うオリジナルのたとえの第二弾。テレビの修理の話しです。
新しい花との出会いから神さまの思いに心が向きました。
イエス・キリストによる救いとは、罪を犯すという不具合を持つ人間を修理することです。