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隠退牧師 holala によるブログ

善悪の知識の木

 創世記によれば、神は人間を造り、エデンの園に住まわせました。そして園のすべての木から取って食べてよいと言われました。彼らは食べるための労働をする必要はありませんでした。神は彼らに一つだけ警告をしました。善悪の知識の木の実は食べてはいけない、食べると必ず死んでしまうと警告されました。

 神は、なぜ善悪の知識の木の実を食べてはいけないと命じられたのでしょうか。善悪を知ることは人間には大切なことなので積極的に食べてもいいのではないかとの考えもあります。

 聖書によると蛇が現れ女に言います.「善悪の知識の実を食べると目が開け、神のように善悪を知る者になることを神はご存じなのだ」と言います。あたかも人間がこの木の実を食べ、神のように賢くなることを神は嫌っているのだと言っているかのようです。神の意地悪さを暗示し、食べるように誘惑しているのです。その結果、女は実を取って食べました。そして男にも渡し、男も食べました。

 人間にとって善と悪を知ることは大切です。ではなぜ食べてはいけないのでしょうか。人間が善と悪を知るようになり、自分は善と悪を知っていると考えるようになると人間は自分は正しい者であると考えます。自分は正しい、と考え自分を誇り、プライドを持つのです。

 人間は他者との関わりの中に生きていきますから、人と人が、自分は正しいと考えるようになると争いが生じます。親子、夫婦、国と国の間で争いが起きるのは、互いに自分が正しいと主張するからです。この争い、戦いには自分のプライドがかかっています。現在の世界に争い、戦いがなくならないのは、このプライドが原因です。このプライドこそ人間の罪の根本です。このプライドのゆえに、さまざまな具体的な罪とされる行いが生まれます。

 人は神の前に畏れを持つとき、互いに共に神に従い、心をひとつにして平和をつくることができます。神への畏れがないとき、プライドのゆえに自己を主張し、争いが生まれます。善悪の知識の木の実を食べた時点で、神への畏れはなくなりました。そして人間が生きるこの世界は、争い、戦いが絶えることのないものとなりました。平和を生み出す努力はなされますが、うまく行きません。

 神はこの世界が争い、対立で満ちた世界になることをあらかじめご存じであり、救い主をこの世界に送ることを世界を造られたときにすでに計画されました。

エフェソの信徒への手紙  1:4 
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

マタイ 5:9
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

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ヤブムラサキ