クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.3.16)
コリント一13:4〜7 愛はすべてを信じる

(コマーシャル風に)

健康にいいといわれている青汁。体のために飲みたいけれど、あの味が苦手という方も多いのではないでしょうか。伊藤園「健康体」の青汁は、ケール、大麦若葉に緑茶と抹茶を加え、飲みやすく仕上げました。

健康のために青汁は良さそうです。
では信仰のためによいのは、どんな汁がよいのでしょうか。
ぐらつかない信仰を持つには、何汁がよいのでしょう

御言葉を「そらん汁」、御言葉を「重ん汁」、何より一番は、御言葉を「信汁」ですね。

私たちは神を信じるものです。

「信じる」ことについて聖書からお伝えしたいと思います。

1.まず、聖書を信じるように、あなたは招かれています。


神を信じるとは、神の約束を信じることです。

聖書には、神の約束が書かれています。

信仰者は、神の約束を頼みとして生きていきます。

私が頼みとしている神の約束があります。

「私を強めてくださる方のおかげで私は何でもできる」(フィリピ4:13)。

新しいことに取り組むことを恐れなくなります。

「わたしの神は、栄光の富から、あなたの必要を満たしてくださいます」(フィリピ4:19)。

先行きに対する不安に悩まなくて済みます。

「求めなさい、そうすれば与えられる」。

これはうれしい約束ですね。

皆さんはどんな神の約束を頼みとしていますか。

最も大切な神の救いの約束は、イエス・キリストを信じる人には永遠の命が与えられるという約束ですね。

昔、イスラエルの民は、エジプトの国で奴隷でした。

毎日、苦しい労働の日々が続きます。

ある日、モーセが現れ、神がこの苦しみから救ってくださると語ります。

モーセは、神の救いを約束としてイスラエルの民に語りました。

うれしかったでしょうね、イスラエルの民は。

しかし、モーセがエジプトの王と交渉を始めると、エジプトの王は、労働を強化します。

イスラエルの民は、いっそう厳しい労働を強いられます。

神が救ってくれるというのは本当かという疑いが民の中に広がります。

差し迫った現実が、神の約束を疑わせるのです。

そこで問いが生まれます。
神の約束を信じようとする時、それを信じる根拠は何なのか、という問いです。

今、日本では、年金の問題があります。

多くの国民は、老後の生活を年金に頼ります。

年金制度は大丈夫なのか、将来、受給できる額が減っていかないか、不安を感じます。

「わたしの神は、栄光の富から、あなたの必要を満たしてくださいます」。

これは神の約束です。

「神は必要を満たしてくださるから、将来のことは心配しなくてよい」と、どうして信じ切ることができるのでしょうか。

救いの約束は、たいていのクリスチャンは信じます。

しかし、実際の生活に関わってくる約束になると信者の態度が曖昧になってきます。

神の約束を疑わせるような事態を予測してしまうので、信じ切ることが難しくなるのです。

私たちにとって信じることができる根拠は何でしょうか。

これは信じられる、これは信じられないと判断する基準は何でしょうか。

一つは、私たちの主観、私たちの判断です。

そのことを私は信じることができる、だから信じられる。

でもあれは、私は信じることはできない、だから信じられない、となります。

わたしが信じられると思えば信じられるし 、信じられないと思えば、信じられないわけです。

しかし、そんな人間の基準は変わりうるのです。

信仰を持つ前の私は目に見えない神を信じることはできませんでした。

目に見えないものがどうして信じられるのか。

でも今は、神を信じています。

自分の判断基準で「信じる、信じない」を決めていると、信仰はぐらつきます。

差し迫る現実が自分の判断に影響を与え、信仰がぐらつくのです。

ぐらつかない信仰のためには、別の基準が必要です。

それは何でしょうか。

聖書は神の言葉であると信じることです。

この信仰に立ち続けることです。

これを信じるかどうかが分かれ目です。

神の言葉は、絶対的に信じてよいのです。

絶対に信じることができるものを神の言葉というのです。

違いますか?

聖書は神の言葉であると信じる、だから、聖書にある神の約束は信じられるのです。

だから何があっても信じ続けることができるのです。

あなたも私も、聖書を信じるように招かれているのです。


2.神を全面的に信じるよう、あなたは招かれている。


信仰に生きるとは、別世界に生きることを意味します。

別世界に生きるといっても、世捨て人になることではありません。

私たちが、生きている現実は変わりません。

変わるのは、私たちの考え方、価値観です。

私たちは聖書に基づいて考えるのです。

聖書の価値観を私たちの価値観とするのです。

それによって、私たちは信仰の世界に生きるのです。

聖書に書かれていることを「重んじる」のです。

神を全面的に信頼する世界に生きるのです。

皆さんの中には、御言葉中心、それは理想という人がいるかもしれません。

この世的な常識、考え方も必要ではないか、という人がいるかもしれません。

聖書は嘘をついてはいけないと教えています。

でも、「嘘も方便」で、嘘も役に立つこともある。

この世の考え方を次々に取り込んでいくと、信仰の世界に生きることはできなくなります。

「愛はすべてを信じる」。

私たちは、神を愛します。神の語ることを信じます。

神に対する愛のゆえに、聖書を全面的に信頼するのが信仰です。

聖書を信頼すれば十分なのです。

「すべてを信じる」とは、聖書に信頼すれば十分との意味です。

聖書を信頼することで不十分であるなら、私たちは、「安んじる」ことはできなくなるでしょう。

何を求めたら、安心できるのでしょうか。

信仰者が住む世界、それは聖書に信頼する世界です。

聖書に基づいて考えます。聖書の価値観を私たちの価値観とします。

聖書に信頼して安んじるのです。

そうはいっても、この世に生きるのには妥協も必要だ、という人もいるでしょう。

御言葉に従っては生きていけない、という人もいるでしょう。

それは本当でしょうか。

御言葉に従う人に、神は道を開いてくださるのではありませんか。

御言葉に従う人に、神は生ける神として、ご自身を現してくださるのではありませんか。

いつもいつも、御言葉に従っては生きていけない、という人に、神が道を開いてくださると思えますか?

思い切って一歩を踏み出せばいいんです。

神様が導いてくださいます。

そうです、あなたも私も、神を全面的に信じるように招かれているのです。


3.神の最善の導きを信じるように、あなたは招かれている 


愛は、愛し合う人間の交わりを作り上げます。

夫婦は身近な例です。

そして教会も愛の共同体です。

パウロが愛について教えているのは、互いに愛し合う信仰者の集まりである教会を築くためです。

神は教会のために最善を導かれます。

神が万事を益としてくださる、と聖書に約束されています。

だから、教会の中で起きる様々な出来事、人間関係の問題、それらは何一つ無駄になることなく、愛の共同体形成に用いられるのです。

教会の中でも、嫌なこと、悲しいこと、つらいことが起きます。

人を裁きたくなったり、嫌いになったりしそうなことがあります。

それら一つ一つを乗り越えることができ、私たちは愛する人へと成長し、愛する教会へと変えられていくのです。

私たちは愛し合う教会を築くという尊い使命を与えられています。

(妻の話 水道工事屋さんとの関わりの話)

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。

エス様が、愛することの模範を見せてくださったから、それに倣うわけですね。

私たちは教会で、「愛する」ということを学びます。

私たちは教会で、愛することの喜び、愛されることの幸いを受け取ります。

そして私たちはこの世に出て行って人々を愛するのです。

その第一は、いうまでもなく家族です。そして幸いな家庭が形成されていきます。

最後に、神はあなたの人生にも最善を導かれます。

家庭生活の中でも、仕事の面でも、あらゆる面で、神の最善の導きを期待することができます。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)。

それが聖書の約束だからです。

聖書の約束を信じることができる、何と幸いなことでしょうか。

神の最善の導きを信じるように、あなたは招かれているのです。


祈り


神様、あなたの約束をいつも頼みとしていきます。
あなたの約束が真実だと信じます。
目に見える現実がいかなるものだろうと、あなたの約束が真実であると信じます。
神様、あなたの御言葉を持って私たちを励まし、勇気づけてください。
あなたの御言葉を頼りとします。
御言葉を信じるから、揺るぎない信仰が持てることを教えてください。
御言葉が真実だから、信仰がぐらつかないことを教えてください。
神様の約束を知らない人に、聖書には沢山の約束があることを教えてください。
「信仰こそ旅路を導く杖」とありますが、あなたの約束の言葉こそ、旅路を導く杖であることを教えてください。
あなたの約束を求めて聖書を読む者とならせてください。
あなたの約束を信じて生きている人を励まし、その約束を成就してください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。