クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


 『ジム・ボタンの機関車大旅行』(ミヤエル・エンデ著)を読み終える。心に残ったことは二つ。


 一つは「見かけ巨人」。遠くから見るととてつもない巨人。鳥も獣も人も、恐れて彼に近づかない。しかし、彼が近づくと、だんだん小さくなる。こちらが近づいていけば小さくなる。彼と相対すれば、普通の人間である。多くの場合、近づく前に大きな彼を見て人は逃げるので、彼はとても寂しい人なのだ。見かけ巨人を思いながら、「恐れ」も同じだと思った。我々は恐れを感じたら、逃げる。恐れに立ち向かわない。しかし立ち向かうべく近づくと、恐れは、それほど恐れるものではないことがわかる。遠くで見ている時、恐れは大きく感じるが、近づくとそれほどでもないことを思う。


 今ひとつ、主人公の機関士ルーカスと少年のジムはさらわれたお姫様を助けに行く冒険をするが、冒険とは引き返す道のことは考えずに前進することだと思わされた。危険な道を進んで助けに行くのだが、助けた後、来た道を戻れるとは思えない、そんな道を進んでいく。前だけ見て後ろは見ない。これも印象に残った。神を信じて生きることも同じだ。


 今日は午前中は、地域集会。『ただ愛すればいい』(岡野俊之著)を輪読して感想を語り合う。僕が一番印象に残ったことは、神の祝福を受け取れない信仰者の歩みについて。キリスト者は律法の呪いから解放されているので、神の罰を受ける心配はない。しかしみ言葉にしたがって歩まないと、神の祝福を受け取り損ねることはある。信仰が見える歩みをする時、神の祝福が臨む。今、洗礼を受ける人が少ない。祝福を受け取れていないとしたら何が足りないのだろうか。