クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

創世記12章1節で
主はアブラムに語ります。

「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」。

 若いとき、「神が示す地」、それは信仰の世界でした。信仰を持たない人生から、信仰をもって生きる人生に踏み出すこと、それが神の示す地に行くことでした。そして次にそれは、牧師として生きることを意味しました。サラリーマンをやめて牧師として伝道者として生きることでした。そして今、神が示される地とは、神の国のような気がしています。あなたは、神の国に生きなさいと、神が言われているように感じます。今すぐではないと思いますが、行く先を示されているような気がしています。


 「父の家を離れ」を「慣れ親しんだ地を離れ」と理解することができます。するとこの言葉が現実味を帯びて感じられるのは今です。信仰なしの人生から信仰をもって生きる人生に移るとき、この世的な価値観を捨てましたが、未練はありませんでした。サラリーマンをやめて伝道者の生活に入るときも、何かを捨てたという思いはあまりありませんでした。その頃僕はお見合いをしていまの妻と結婚しました。お見合いをしたその日、別れ際に「僕は神学校に行く予定があり、牧師になったら経済的に豊かな生活はできるとは限らないので、それがいやならこの見合いを断ってくれてよい」と伝えました。そのことは気にしないということで、結婚に導かれました。


 でも、神の国に行くときは、慣れ親しんだこの地上の生活から離れることになります。未練とは違いますが、この地上での生活が名残惜しいような気がします。慣れ親しんだ人たちとの別れがさびしいのかもしれません。慣れ親しんだ土地を離れ」という言葉が重く感じます。


 金沢元町教会を辞任し、牧師を引退し、奈良に転居しました。慣れ親しんだ人たちと別れての奈良の生活で、さびしさを感じないわけではありません。このさびしさは、神の国に行くための予行演習なのかもしれません。そんなことを思ったりするこの頃です。


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↑しろいつゆくさで名はトキワツユクサ