クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

肉の性質・肉の働き

(クリスチャンの成長(60)キリストに結ばれて- 18)

コリント二12:7~9
わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

 人間は体を持っています。体のない人間はいません。体には体特有の性質があります。たとえば寿命があります。食事をして栄養を補給しなければ生きていけません。自分一人で子孫を残すことはできません。体は人間に限界をもたらします。限界があることは人間の心に影響を与えます。そして人間にはさまざまな欲があります。

 神さまが人間を造られたとき、体を持つものとして人間を造られました。神さまが御自分が創造したものをご覧になって「極めて良かった」と言われました。人間にとって体を持つことは本来よいことなのです。体があるから運動を楽しむことができますし食事を楽しむこともできるし、結婚し子供を育てる喜びも与えられます。また映画や音楽を楽しむこともできます。仕事をする喜びも人と関わる喜びもあります。命に限りがあるので死別の悲しみがあり、病気にもなります。しかし体を持つことは本来よいことです。

 しかし体があるために、残念な面があることも否定できません。たとえば人間は欲を持ちます。人間が生きるために欲があることは肯定されるべきです。しかし欲が過ぎると問題を生じることがあります。十戒にはそのような過剰な欲に対する戒めがあります。「むさぼるな、姦淫するな、盗むな」。ダビデは大きな罪を犯しました。

 また限界のある人間は、自分のプライドを何としても維持しようとする心があります。プライドが傷つけられれば怒りが湧いてきて、思わぬ事態を生むことがあります。また自分が可愛いので、自己中心的になり、利己的になりがちです。他者との関わりの中で傷ついたり、傷つけたり、罪を犯してしまいます。

 聖書には、罪が私たちの肉の性質を利用して罪を犯させるとの記述もあります。私たちは自分の体を、自分の心を管理する責任を持っています。

コリント一 4:2
この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。 

  私自身は、タバコの奴隷となり、神さまから与えられた体を傷つけていたことを思い出します。これが後に受洗するきっかけとなりました。

 キリスト者になる以前の人間は、肉の性質、肉の働きを完全にコントロールして、罪を犯さないで生きることはできません。肉に従って生きることが普通になっています。

 キリスト者になっても肉の性質はなくなりませんし、肉の欲が私たちを動かし、罪を犯させようとすることはあります。しかしキリスト者は聖霊の助けを得て、これに打ち勝つことができるようになりました。救いの恵みは罪の赦しだけではありません。罪に打ち勝つことができるようにされたことも大きな救いの恵みです。この恵みを知り、神さまをたたえる者になりたいと思います。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。

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