私は神さまから4人の子を授かりました。かつて長男が大学の4年生、長女が2年生、次女が一年生という時がありました。大学の費用を工面するのに苦労したことがあります。
長男は国公立の大学に行ってくれました。娘たちも国公立の大学に行って欲しいと願っていました。当時教会では会堂建築に取り組んでいて、予約献金をしていました。娘たちは結果的に二人とも私立の大学に行くことになり、大学の費用が膨らみ、ピンチとなりました。予約献金を取り消すわけにはいきません。
その当時、私たち(妻と私)は聖書を日々の糧としていました。聖書を読む時、そこにどんな神の約束があるのかということに注意を払って聖書を読んでいました。そこで頼みとする聖句、つまり神の約束を思い出しました。
フィリピ 4:19
わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
神は必要を満たしてくださると書かれています。この約束にすがることにして、私たちは「必要を満たしてください」祈り始めました。天からお金が降ってくるわけではありませんから、よいアルバイトが見つかればと祈っていました。ある時気がつきました。ただ「必要が満たされるように」では祈りが漠然としています。具体的に祈ることにしました。妻にはある国家資格がありましたので、その資格を用いて働くことができるようにと祈り始めました。妻は教会の集会にも出席していたので、できるだけ集会にも出席できるようにという条件をつけて祈り始めました。
祈り始めて4日目ぐらいでしょうか、なんと向こうからアルバイトが飛んできたのです。「人手が足りないので、働いてもらえませんか」と依頼が来たのです。妻はかつてその依頼先でアルバイトをしていた時期がありました。私たちが祈っている中で、アルバイトの依頼が来たのでした。
妻は約2年、その依頼に応え、働き、無事、必要が満たされました。私たちは「神さまの約束って実現するね」と喜び、感謝し、神さまをたたえました。忘れられない思い出です。また神さまは万事を益としてくださることも確認しました。
神さまはどんな思いで私たちの祈りを聞いてくださったのかな、と思いめぐらします。「おっ、私の約束に期待しているな。よし、かなえてあげよう」と私たちのことを顧みてくださったのかもしれません。これは神の慈しみ?憐れみ?恵み?
