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隠退牧師 holala によるブログ

安全保障関連法が衆議院を通過

 ついに安全保障関連法案が衆議院を通過しました。安倍首相は国民の理解が深まっていないことを認めた上で、なお採決に踏み切りました。つまり国民の理解などどうでもいいのです。自分が首相の座を追われない限り、国民の理解は関係ないのです。自分の政治信念を貫きたいだけです。人に共感してもらえない政治信念なんて意味がありません。


 私がこの法案に反対するのは、根本的な理由からです。日本国憲法の前文にこう書かれています。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 この文章のキーワードは「信頼」です。日本という国家は、諸国民の公正と信義に「信頼」するという立場に立つことを宣言しました。


 しかし、安倍首相の立場は、「恐れ」に立脚する立場です。つまり「もしだれかが、こうしたら、どうするのだ」という理屈です。ある事態が、しかも困った事態が起きることを恐れ、その恐れが生じないためにどうしたらいいかという発想です。恐れに支配されている人の態度です。


 他国を基本的に信頼する立場に立つのか、他国に対して疑心暗鬼になる立場に立つのか、これは大きな違いです。真の平和は相互信頼によってしか生まれません。


 日本は、憲法によって「信頼」する立場を選択しました。しかし今や、「恐れ」に縛られ、「恐れ」に支配された歩みをしようとしています。すると「恐れ」から解放される道はただ一つ、誰よりも強くなることです。


 今、日本の国全体が「恐れ」に支配されているといってもよいと思います。例えば、学校でのいじめがあります。自分がいじめられる立場に追い込まれるのがいやなので、いじめる側に回るという話を聞きます。<なぜいじめるのか>。自分がいじめられるのを恐れて、いじめる側に身を置くのです。すでに中学生が恐れに支配されているのです。


 私は小学生5年か6年か、今ははっきり思い出せませんが、一人のクラスメートが私に意地悪をしました。意地悪をしようとしていました。その時クラスメートたちが学校の帰り道、一緒に歩いてくれて私を守ってくれました。うれしかったです。他者を大切にする心が失われている時代です。


 聖書的に言えば、私たちは悪の霊力との戦いの中におかれています。新約聖書エフェソの信徒への手紙6章を紹介します。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

 真の敵は安倍政権ではありません。信頼によって平和を築こうとする歩みをせせら笑う悪魔です。悪魔の武器は「恐れ」です。