今、パソコンに入っている日記を整理しています。バックアップしたデータもあり、いくつも日記のファイルがあります。整理しながら目に入ってきた日記がありました。
20XX年XX月XX日
ある牧師と話をしているとき、彼がこんなことを言いました。
「死の恐れというのは、神が与えるもの、神が牧師として働く者に与えるものではないか」。
それを聞いて僕は驚きました。そんなこと、聞いたことがありませんでした。そして彼は、僕の知っている神学校の教授や、神学者の名前を挙げるのです。彼らもまた死を恐れたことを語っているというのです。
そして夕食の時、このことを妻に話しました。すると急に胸がつまり、泣いてしまいました。なぜ泣いたのか、と後で考えました。
僕は、死の恐れがある故に創造主なる神を賛美できませんでした。たとい神が私に命を与えてくださったとしても、死がある世界に生まれたことを感謝できなかったのでした。しかし死の恐れを持ったのは、神がみ言葉の役者(えきしゃ)として立てるためであったと思わされ、神の愛が自分に注がれていたことを知ったので、泣いたのだと思わされました。忘れがたい恵みを与えられたように思いました。
以上が日記です。妻に話をして涙を流したことはすっかり忘れていました。でも思い出せてよかったです。