先日「老いと祈り」というテーマで神との対話の祈りをしたいと書きました。神との対話の祈りを始めています。最近、不安を感じることが多くなりました。朝目覚めた時、色んな思いが去来します。
自分はどんな生活をして生涯を閉じるのか、色んなコースがあります。自分は突然亡くなるのか、病気で亡くなるのか。私と妻はどちらが先に亡くなるのか。体が衰え、老人施設でお世話になるとして、施設情報を検索して選択することができるのか。自分でできなければ、息子や娘に助けを求めなければなりません。
こんなことを考えていたら、何かパニックになりそうな気がしました。ああ、そうだ。この不安な気持ちを全て神さまに吐き出すことが大切だと思い、祈りました。神との対話の祈りです。自分の思いを打ち明けるだけですが、祈るということは、自分の気持ちを言葉に出すので、これはよいことだと思いました。何が不安なのか、言葉にすると何が不安なのかが明確になります。私の場合は、直面する事態に対応できるかという不安があるようです。私は祈りの言葉を文章化して、繰り返して読み、また祈ることができるようにしました。
祈りの対話なら、神さまの語りかけを受け取ることができるわけですが、聞こえてくるとは限りません。すると今朝、妻が言うのです。「私たち、節目ごとに神さまが導きを与えてくださった。これからも導いてくださるんじゃない」。これを聞いて、ほっとしました。妻を通して神さまが語って下さったのでしょうか。
聖書には「思い煩ってはならない」との教えがあります。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと考えて思い悩むのはやめて、その時に考えればよいと考えていました。起こりもしないことをあれこれ考えることは無駄であると考えていました。そして今自分が、無駄なことをして思い悩んでいるのだと思いました。老人としての今後を考える時、備えは必要ですが、思い悩むことは無駄だと思いました。フィリピ書の聖句を思い出しました。
フィリピ 4:6
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
神に打ち明けなさいと勧められています。神に祈ることができる、本当にありがたいことだと思いました。
