聖書 コリントの信徒への手紙一 15章12~20節

1.復活を信じる
→科学技術の発達したこの時代、復活を信じることは簡単なことではないと思います。
医療技術は発展しましたが、死者を生き返らすことはできません。
復活を説く信仰に人々が心を閉ざしても不思議ではありません。
イエスの時代でも、復活を信じることは簡単ではありませんでした。
コリントの信徒の手紙15章12節を読みます。
コリント一15:12
キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
→コリント教会には、復活を信じない人たちがいたのです。
復活を信じることは洗礼を受けることの必要条件ではないと私は考えます。
信仰生活をする中で、信じるようになればよいと思います。
ちなみに私が洗礼に導かれたとき、私はキリストの復活を素直に信じることができました。
洗礼を受ける前、私は礼拝に出席する中で、使徒信条を唱えていました。
使徒信条には、「我は全能の父なる神を信ず」とあります。
洗礼を受けた私は、神は全能の神であると信じることができました。全能でない神なんて、神ではありません。
神が全能なら、神にはできないことはありません。
もし神がイエスを十字架の死から復活させようと願うなら、
神にはそれはできる、と思いました。
だからイエスは復活したと信じることができました。
→私は洗礼を受けて一年後に、夜間の日本聖書神学校に入学しました。
やがて牧師となり、説教をするようになりました。
春にはイースタの礼拝があり、復活について説教します。
そこで考えるようになったことは、
イエスの復活は、今信仰に生きるキリスト者に対して
どのような意味を持っているのか、
信仰者にとってどんな意義があるのか、考えるようになりました。
この復活の意味、意義を知ることは、イエスの復活を信じることの助けとなるのではないかと思います。
復活したイエスをキリストと呼びたいと思います。
そこで今日は、キリストの復活の意味、意義について4つのことをお話ししたいと思います。
2.キリスト者は復活したキリストに結ばれる
→キリストの復活を信じることの意義の第一は、
キリスト者は、キリストに結ばれる、ということです。
ローマ6:3
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
→洗礼を受けたキリスト者はキリストに結ばれるのです。
→このキリストは世の終わりまで私たちと共にいてくださるお方です。
マタイ28:20
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
→キリスト者がキリストと結ばれていることを明確に語るたとえがあります。
イエスの語ったたとえです。
ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
イエスはぶどうの木、私たちはその枝です。
ぶどうの木であるキリストに私たちは枝として結ばれています。
もう一度5節を読みます。
15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
→キリストにつながることによって、私たちは実を結ぶとあります。
うれしいですね。
キリストにつながって生きるとはどういうことでしょうか。
たとえば日曜日、主の日には教会で礼拝をする、
それもキリストにつながることだと言ってよいと思います。
聖餐式では、キリストの体であるパンと、キリストの血であるぶどう酒をいただき、
キリストを私たちのうちにお招きしています。
そこで大切なことは実を結ぶことです。
どうしたらよいのでしょうか。
礼拝では説教を聞きます。説教に応答すること、
それが実を結ぶことにつながると考えます。
それゆえ、
牧師の説教準備のために祈ることは大切となります。
→私自身は、聖書を読むことを習慣とし、
読んだ聖書箇所を思い巡らし、
神さまは私に何を語ろうとしておられるのかを思いめぐらし、
神さまの語られることに従う努力をしています。
なぜ聖書を読むかと言ったら、神の言葉が人となったのがイエスだからです。
私はキリストに結ばれているので聖書を読むことを大切にしています。
→祈りによって自分はキリストにつながっていると信じている人もおられると思います。
イエス・キリストの御名によって祈るのですから、
祈りによって私たちはキリストにつながります。
キリストとのつながり方は人それぞれだと思います。
それぞれの仕方でキリストにつながり、恵みとして実を結ぶとよいと思います。
キリストとつながる、これは復活のキリストを信じることによって与えられる恵みです。
→使徒パウロは、キリストと結ばれた自分の信仰生活について、
フィリピの信徒への手紙1章でこう述べています。
フィリピ 1:21
わたしにとって、生きるとはキリストであり、
→私にとって生きるとはキリストであるというパウロの告白は
パウロとキリストの関係が密接であることが分かります。
ガラテヤの信徒への手紙2章でパウロは次のように述べています。
ガラテヤ 2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
→生きているのは、もはや私ではないというのです。
キリストが私のうちに生きておられる、と告白します。
これは自分がキリストによって生かされていることを伝えていますが、それ以上のことを語っています。
「キリストが私のうちに生きておられる」と告白しています。
それほどにキリストとの結びつきが強いことが分かります。
→キリスト者がキリストに結ばれて生きることを
聖書はキリストとの交わりに生きると表現します。
コリント一1:9
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
→キリストの復活を信じることの意味、意義の第一は、
私たちキリスト者がキリストに結ばれることです。
キリストとの交わりに生きる存在であることです。
しかもキリストにつながり、実を結ぶことが約束されています。
3.キリスト者とは新しく生まれた存在である
→キリストの復活を信じることに第二の意味、意義は、
キリスト者はキリストに結ばれ、新しく生まれた存在だということです。
パウロはコリント信徒の手紙二で次のように語ります。
コリント二 5:17
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
→キリスト者は新しく創造されたものだというのです。
私たちは洗礼を受け、キリストに結ばれ、新しく創造された者になるというのです。
またペトロの手紙一にはこうあります。
ペトロ一 1:3
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ」
→キリスト者は、神の憐れみによって新しく生まれた存在だというのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれた私たちキリスト者は
新しく生まれたのです。
新しく生まれたのです。
新しく生まれた、それはどういうことでしょうか。
新しく創造された、それはどういうことでしょうか。
何をもって新しく生まれたと言えるのでしょうか。
→キリストを信じるあなたが、
「私は神を信じて、キリストを信じて生きています」と告白するなら、
あなたは新しく生まれています。
新しく創造されています。
なぜなら、洗礼を受ける以前のあなたは神を信じていませんでした。
キリストを信じていませんでした。
しかし今や、神を信じ、キリストを信じて生きる者となりました。
あなたが新しく生まれたから、そのような生き方をしているのです。
では何が変わったのでしょうか、
新しく、生まれ変わったのは、あなた自身です。
あなたが、神を信じ、キリストを信じて生きる人になったのです。
→新しく生まれたのは、あなた自身です。
しかしあなたの心が新しくなったわけではありません。
洗礼を受けたからといって、あなたの心はそんなに変わりません。
心が変わっていないので、新しく生まれたという実感はないかもしれません。
しかし、「私は神を信じ、キリストを信じて生きています」と告白するなら、この告白こそ、あなた自身が新しく生まれたことの証拠です。
あなたの心は信仰生活をする中で、少しずつ変わっていきますし、
変えられていきます。
→では新しく生まれた、「あなた」はいかに生きたらよいのでしょうか。
ペトロの手紙一は、新しく生まれた人に対して、次のように語ります。
ペトロ一2:1~2
だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
生まれたばかりの乳飲み子のように、
混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。
これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
→あなたは新しく生まれたのだから、悪意、偽り、偽善、妬み、悪口を捨てなさいと命じられます。
他者に対して悪意を抱くことは、新しく生まれたキリスト者には、
ふさわしくありません
悪意はきっぱりと捨てるのです。
そして霊の乳を慕い求めるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、母乳を飲んで育ちます。
キリスト者も新しく生まれたら霊の乳を求めるというのです。
霊の乳を飲んで成長し、救われるようになるためとあります。
この場合の「救われるようになる」とは、
罪から救われて、生き生きと信仰に生きる人になるとの意味だと考えます。
霊の乳とは何でしょうか。
皆さんは何だと思いますか。
(3秒、考えてもらう)
→霊の乳、それは聖書、神の言葉といってよいと思います。
霊の乳をどこでどのようにして飲むのでしょうか。
礼拝の説教を聞く、それは霊の乳を飲むことです。
教会の集会で聖書を学ぶ、それも霊の乳を飲むことです。
日々、自分の生活の中で聖書を読み、思い巡らす、
これも霊の乳を飲むことです。
どれも大切で必要な霊の乳を飲む行為だと私は思います。
→キリストの復活を信じることに第二の意味、意義は、
キリスト者はキリストに結ばれ、新しく生まれた存在だということです。
4.キリスト者の歩み
→キリストの復活を信じることの意味、意義の第三は、
キリスト者の生き方が変えられることです。
霊の乳を飲んで成長するなら、生き方が変えられます。
キリスト者として成長していきます。
新しく生まれたキリスト者の歩みはどのようなものとなるのでしょうか。
ひと言で言えば、「イエスを模範とする」ことです。
イエスは神の御心に従って生きた人です。
新しく生まれたキリスト者は神の御心に従う歩みをします。
キリスト者はキリストを模範として、
キリストに似た者となることを目指します。
神の御心に従う、これが新しく生まれたキリスト者の歩みです。
それはキリストを模範として生きることであり、
キリストに倣い、キリストに似た者となる歩みです。
神の御心に従うという点で、私たちキリスト者は
キリストを模範とし、キリストに倣う者となります。
ヨハネ6:38
わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
→イエスは神の子として、父なる神のみ心に従いました。
新しく生まれたキリスト者も父なる神のみ心に従う努力をします。
それゆえ、キリスト者の歩みは、
父のみ心に従うイエスを模範とする歩みです。
それがキリストに結ばれ、新しく生まれた信仰者の歩みとなります。
このことを使徒パウロも語っています。
→パウロは「自分に倣う者になりなさい」という勧めをします。
コリントの教会の人たちにこう勧めています。
コリント一 4:16
そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
→フィリピの教会の人たちにも勧めています。
フィリ 3:17
兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。
→自分を模範にしなさいとパウロが言いますが、
なぜ、そのような勧めをするのでしょうか。
コリントの教会に向けてパウロは勧めます。
コリント一 11:1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
→パウロに見倣うなら、その結果として、その人はキリストに倣う者になるというのです。
キリストを模範にしなさいと言われても、どうすればいいのか分かりません。
私たちは聖書を読めばイエスの教えを知ることができます。
当時は私たちと違い、聖書がありませんでした。
目の前にいるパウロがいかに生きているのかを見れば、
パウロに見倣うことができます。
あなたがたがわたしに見倣うなら、あなたがたはキリストに見倣う者になるのですとパウロは教えています。
→イエスはまことの人として罪を犯さずに歩みました。
イエスを見倣う歩み、それは最も人間らしい歩みをすることです。
人間を造られた神の御心にそう歩みです。
ですから、テサロニケの教会に向けてパウロは言います。
テサロニケ一 1:6
そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
→キリストに結ばれたキリスト者は新しく生まれた者となり、キリストに倣う者となります。
まことの人間を目指して生きる努力をします。
キリストに倣うというと、そんなこととても無理とか言う人もいます。
確かに人間の力では無理です。
しかし聖霊の導きがあります。
私たちが神の御心に従って行動しようとするとき、
私たちはすでに聖霊の導きの中にあります。
御心に従おうとする思い、それは聖霊によって与えられたものです。
聖霊は、御心に従うための力を与えてくださいます。
ですから、聖霊の導きを祈り求めることはとても大切です。
ガラテヤ5:16
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
→肉の欲望とは、神の御心に従いたくないという思いです。
霊の導きは、この思いに打ち勝たせてくれます。
霊の導きがなければ、肉の欲望に負けて神の御心に従うことができません。
→復活したキリストを信じる第三の意味、意義は、キリスト者の歩みが、キリストに倣う歩みであることを教えてくれることです。
キリストに結ばれるから、キリストに倣う者、地上を歩まれたイエスに倣う者となります。
このようにしてキリスト者はキリストを証しする者となっていきます。
4.復活するキリスト者
→キリストの復活を信じることの意味、意義の第四は、キリスト者の抱く希望です。
イエスは復活しました。
コリント一 15:20
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
→イエスの復活は「初穂」としての復活です。
つまりイエスに続いてキリスト者もまた復活するということです。
では私たちは、どんな風に復活するのでしょうか。どんな体で復活するのでしょうか。
パウロは、霊の体に復活すると語ります。
私たちは生まれたときは、自然の体と呼ばれる体を持っていました。
これは目に見える体です。
復活するときは霊の体で復活します。
霊の体というのは、どういうものかはよく分かりません。
しかし聖書には次のような記述があります。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、
わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、
わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
→キリストは私たちの卑しい体を御自分の栄光あるからだと同じ形に変えてくださるとあります。
それは言い換えると、まことの人間として復活するということだと思います。
神の国にふさわしい者として復活するということです。
→キリストの復活を信じることの意味、意義として4つのことをお話ししました。
第一に、私たちはキリストと結ばれて生きること
第二に、私たちはキリストに結ばれ、新しく生まれたこと
第三に、私たちはキリストに結ばれ、キリストに見倣う歩みをすること、
第四に、私たちも復活の希望が与えられていることです。
祈ります。
祈り
天の父なる神さま、
キリストの復活の意味、意義について聖書から学ぶことができ感謝します。
復活信仰に生きる恵み、幸いを知ることができ感謝です。
この恵みに私たちを生かしてくださるようにお願いいたします。
またこの恵みを分かち合うことができるように導いてください。
イエス・キリストの御名により祈ります。