朝雪が降っている。礼拝が始まる頃には、日も射したが、午後は曇り。礼拝後は、CS教師会。
礼拝とは、当たり前のことであるが、神を礼拝することである。従って、神の臨在を信じて、神を畏れ、礼拝をささげる。我々は神の臨在を信じる。信じるということは、神の臨在を必ずしも実感できるわけではないと言うことである。実感できないと、礼拝には出席するが、神を畏れる態度があいまいになることがある。礼拝に集う人が、礼拝開始の前に席に着き、心を静め、礼拝に備えてほしいと思う。そこで問題となるのは「自由と規律」。ある方向に向かって人は進むことを信じて、ゆだねるか、自主性を重んじるか、それとも明確な指導をして、ある方向に進むようにさせるか。自由と規律、これはあらゆるところで課題となる。