昨日、礼拝説教奉仕を行いました。その説教を紹介します。
新約聖書 ルカ福音書1章26~45節
説教 お言葉どおりこの身になりますように

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0.はじめに
→天使がマリアにあなたは男の子を産むと告げました。
そしてマリアは、「お言葉どおりこの身になりますように」と告白しました。
私たちも「お言葉どおりこの身になりますように」との告白をしてもよいのではないか、と私は教えられました。
今日はそのことをお話ししたいと思います。
1.聖書から天使とマリアのやりとり
→6ヶ月目に天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされたとあります。
6ヶ月目というのは、天使ガブリエルが祭司ザカリアに、彼の老いた妻エリサベトが子を宿すと告げたときから、6ヶ月目ということです。
天使は、子供を産むには年を取り過ぎたエリサベトが子を産むことを告げたのです。
聖書には、子を産めない女性が神から子を授かるという話が幾つもあります。
授かった子は後に神さまに用いられる働きをします。
今、神は天使ガブリエルをガリラヤの町ナザレに遣わします。
天使は、ダビデ家に属するヨセフの婚約者マリアのところへ行きます。
ルカ 1:28~29
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。
→これを聞いてマリアは戸惑いました。
いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだとあります。
こんなことを言うなんて、この人は何者、と思ったに違いありません。
聖書は天使ガブリエルと書いています。
そのことはマリアには分かりません。
目の前の人が神に遣わされた人であるなんて
考えもしなかったと思います。
→「あなたは恵まれた方。主があなたと共におられる」。
具体的にどういうことが言われているのかわからず、マリアは戸惑います。
→マリアが考え込んでしまったので、天使は同じ事を繰り返します。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
→そして天使はさらに続けます。
1:31
「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」。
→マリアは心の中で思います。
<私はヨセフと婚約しているから、結婚して子どもができたらイエスと名付けなさいと言っているのかしら>。
→天使はさらに言います。
1:32~33
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。
→マリアは心の中で言います。
<え、何言っているの。意味分からない。
私が産む子は偉大な人になり、ダビデの王座につく、
ヤコブの家を永遠に支配する。どういうこと>。
<ヨセフとは婚約中で、まだ結婚していないから、生まれてくる子のことなんか、まだ考えられないわ>
→マリアは言います。
1:34
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
→すると天使は言います。
1:35
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
→マリアは心の中で思います。
<聖霊が下り、神の力に包まれて、私は身ごもり、子を産むというの。
その子は神の子と呼ばれるだって。
すごいことが私の身に起きるみたい。
本当かしら>。
→天使はさらに言います。
1:36~37
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。
→マリアは心の中で思います。
<親類のエリザベトおばさんが身ごもっているって。あの年とったおばさんが。
「神にできないことは何一つない」。こんなことを言うなんて、この人誰なのかしら。
もしかしたら、この人の言葉、ないがしろにしてはいけないのかもしれない>
2.マリアの思い巡らし
→<私は神の力に包まれて子を宿すみたい。
そんなことがあるのかと思うけど
エリサベトおばさんが身ごもるなら、
そういうこともあるかもしれない。
そして私が宿す子は、特別な子になるらしい。
イスラエルを救う人になるみたい>。
→そこでマリアはイスラエルの歴史を振り返ります。
今は、説教者である私が簡潔にイスラエルの歴史を振り返ります。
→昔、昔、イスラエルの民はエジプトで奴隷となって苦しんでいました。
彼らは苦しみの中から救いを求めて神に叫び続けました。
神は彼らの叫びを聞き、イスラエルの民を救います。
神は彼らをエジプトから解放し、彼らを自由に生きる地へ導かれます。
その地に行く途中シナイ山の麓で神はイスラエルの民と契約を結びます。
その結果、イスラエルの民は「神の民」となりました。
神はイスラエルの民に、私はあなたがたの神となると約束し、
イスラエルの民は、神の民として生きることを約束しました。
ここに神とイスラエルは互いに約束を交わし、契約が成立しました。
→神の民となったイスラエルは神の与えた地に住みます。
やがて国を建設します。ダビデ、ソロモン王時代に
領土を最大に広げました。
これは紀元前10世紀のことです。
しかしその後、その国家は滅びました。
これは紀元前6世紀のことです。
なぜイスラエルの国は滅びたのでしょうか。
イスラエルの民が偶像礼拝をし、不信仰に陥ったからです。
モーセの十戒には、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」とあります。
この戒めを破り、イスラエルの民は神を恐れなくなります。
さらにイスラエルの社会には不正義がはびこるようになりました。
そこで神は預言者を送り、何度も、神に立ち帰るように呼びかけました。
でもイスラエルの民は、神に立ち帰らなかったので、
神はイスラエルの国を滅びへと導きました。
紀元前6世紀にバビロンによって滅びました。
→その後、イスラエルの地は、ペルシャ、ギリシャ、シリア、ローマの支配下に置かれました
この期間、数百年です。
マリアの生きている時代、イスラエルの民のあいだには、
ローマの支配から自分たちを解放し、
イスラエルの国家を再興する救い主の到来を待ち望む思いが広がっていました。
→そこでマリアは思います。
<自分が産む子は、このような救い主になるのかもしれない。
なぜ私が救い主となるような子を産むように選ばれたのかしら。
選ばれたから「恵まれた方」と言われたのかしら>
3.マリアの思い(続き)
→<私そうだとすると、私は神さまに用いられることになるのかもしれない。
そういえば、先祖のアブラハムのことを思い出すわ>。
→説教者である私がアブラハムについて説明します。
アブラハムは創世記に登場し、信仰の父と敬われた人です。
神はアブラハムに語りました。
創世記12章1~2節
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
→アブラハムは、神から、あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高めると言われたのです。
突然、考えたこともないようなことを聞いたのです。
大いなる国民になるってどういうこと?
すぐには理解できないことを聞いたのです。
でも彼はこの神の言葉、神の約束を信じ、神が示す地に向かって旅立ちました。
彼は神の約束に身をゆだねたのです。
神の約束に自分の人生をゆだねたのです。
信仰とは、自分の人生を神にゆだねることと言うことができます。
→そこで、マリアは思います。
<アブラハムも神の約束を聞いて、それが何を意味しているのかよくわからないけど、神の約束を受けとめ、彼は神の示す地に行った。
そして彼は、私たちの先祖となった。彼からイスラエル民族が生まれた。
アブラハムに対する神の約束は本当だった。
アブラハムは神の約束を聞いて従ったんだ。
神の約束に身をゆだねたんだ。
それで、イスラエル民族が生まれ、今日に至っている>。
→<もしかしたら、目の前にいるこの人の言葉は、神の約束の言葉なのかもしれない。
神の約束の言葉なら、信じた方が良いのかも知れない。
私は神さまの約束を信じてみたい。
神さまは、生まれてくる子を用いて、大きな働きをされるなら、
私はそれを見てみたい。
私は神のはしため、神さまに仕える者。
それなら神の約束がこの身を通して実現することを喜びたい。
神の約束を与えられ、神の働きに用いられるなら、
私は恵まれた者。目の前の人が言うとおり、
私は恵みを受けた者なのかもしれない。
私は心を決めた>。
「お言葉どおり、この身になりますように」。
マリアは天使ガブリエルに答えました。
→天使が、マリアの親類のエリサベトも子を宿していると告げたので、
マリアは早速エリサベトを訪問しました。
マリアが祭司ザカリアの家に行き、その妻エリサベトに挨拶しました。
1:41~42
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」。
→これを聞いて、マリアはうれしくなりました。
さらにエリサベトは言います。
ルカ1:45
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。
→つまり神の約束が必ず実現すると信じた人は、何と幸いでしょう、とエリサベトは言いました。
マリアは今一度、神の約束に身をゆだねていいんだと心を定めたと思います。
マリアは、神の約束を信じ、その約束に身をゆだねました。
4.私たちもマリアと同じ告白を
→マリアはイエスを産みました。
イエスは救い主としての働きをし、十字架で亡くなりました。
そして三日目に復活し、天に昇り、福音を宣べ伝える使命を弟子たちに与えました。
→私たちは福音を聞いてイエスを信じ、イエスが与えてくださる救いを受ける者となりました。
救いの実を受け取る者となりました。
聖書には、私たちが救いの実を受け取ることができるとの約束が書かれています。
私たちは「お言葉どおりこの身になりますように」と言って、救いの実を受け取ることができます。
ヨハネ3章16節を読みます。
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
→神は独り子イエスを信じる人が、永遠の命を得るように、独り子イエスを世にお遣わしになりました。
イエスを信じる私たちには永遠の命が約束されています。
それゆえ私は「お言葉どおりこの身になりますように」と言うことができます。
→次は罪の赦しです
使徒 10:43
また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」コロサイ 1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
→この二つの聖句は、イエスを信じる者が罪の赦しを受けることを約束しています。
「お言葉どおり、この身になりますように」といって、罪の赦しを与えられていることを感謝することができます。
→エフェソ書にはこう書かれています。
1:4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
→私たちキリスト者は、キリストを信じ、信仰者へと選ばれました。
神はキリストを信じる私たちを御自分の前に聖なる者、汚れのない者にしようとされました。
キリスト者が神の前に汚れのない者となる、聖なる者となる、これは神の御心だというのです。
これもキリストによるの救いの実です。
「お言葉どおりこの身になりますように」と言って、
汚れのない者、聖なる者を目指して信仰の歩みをすることができます。
→最後にローマの信徒の手紙8章から。
8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
→私たちを神の愛から引き離すものはないと書かれています。
私たちは死んでも、神の愛から引き離されることはないというのです。
「お言葉どおりこの身になりますように」。
このように語りつつ、平安のうちにキリスト者は生涯を終えることができます。
皆さんは、どんな神の約束について「お言葉どおり、この身になりますように」と告白されるのでしょうか。
「お言葉どおり、この身になりますように」と語ることが出来ることは、何と幸いなことでしょうか。
祈ります。