クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 葬儀が終わった。葬儀の中で讃美歌を歌いながら思ったことがある。『牧師の仕事』(鈴木崇巨著)を事前に読んでいたからであるが、こんなことが書いてあった。

 新しい教会に赴任して最初の葬式をつつがなく終わったときに、信徒は心から信頼と好意をもってその牧師を迎え入れてくれます。なぜなら葬式は死者に対する尊厳の気持ちから小さな誤りも許されないような細心の注意が要求されますし、その牧師の霊的な能力と知的な能力が表され、さらに人間的な面、たとえば遺族に対する同情深さ、一般参列者との社交性などが表されてくるからです。

 葬儀で牧師は説教する。故人のことを思って説教の準備をする。故人のことを全く語らない説教はないと思う。人生を終えた故人のことを思い説教を準備する。そして故人のことを語る。故人にとってはたった一回の説教である。故人は聞くことができない。そんな説教を託されることにあらためておそれを覚えた。それは一つの特権でもある。そして葬儀に参列する教会員は、この牧師に自分の葬儀の説教を託せるかどうか考えるに違いない。

 牧師としては祈りつつ全力を尽くすしかない。

 葬儀が終わって残りの一日のんびりして、張り詰めた緊張感を解くことに専念した。読書をしたり、テレビを見たり。『進化論 (図解雑学) 』を読み終わる。