クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

わたしの願い

 私には今、一つの課題、願いがあります。それは終末の事柄を本当に信じるところから生まれてくる言葉でもって語ることです。今までは、終末の事柄は知識として受け入れてきました。聖書が何を語っているかは知っています。聖書が語っていることを教えることはできます。でも相手に信じさせることができるかといえば、疑問です。終末の事柄を本当に信じるところから生まれてくる言葉でもって語ることをしないなら、相手に信じてもらうことはむずかしいと思っています。勿論、この課題については祈っています。

 梅雨の晴れ間の今日、ハイキングに出かけました。春日山遊歩道です。遊歩道とは言え、林道のコースで、合計12km歩きました。それなりに疲れました。歩きながら、アブラハムのこと、イエス様のことを思いめぐらしました。アブラハムは神さまから約束を与えられました。

創世記12:1~2
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」。

 アブラハムは、自分が生きている間には実現を見ることのできない約束を神から与えられたのです。彼は100歳の時、イサクを得ました。でも子孫が増え広がるとの約束の実現は見ることができませんでした。彼は信仰の父と呼ばれています。

 自分が生きている間には実現を見ることができない神の約束を信じたアブラハムは信仰の父と呼ばれました。終末の事柄というのは、おそらく私が生きている間には実現を見ることができない事柄です。イエス様は再臨することを約束されています。アブラハムに倣うなら、私は終末の事柄を信ずべきです。

 さらに昨日紹介した讃美歌の英語の歌詞を口ずさみました。

on Christ,the solid rock I stand

 キリスト、堅い岩の上に私は立つ、と告白する賛美です。キリストに立つなら、キリストの語られた言葉にも立ちます。キリストは再臨を約束されましたから、これを信じてこそ、キリストに立つことができるといえます。

 こんなことを思いめぐらしながら、祈りながら、山道を歩いてきました。そよ風が吹いていたので汗もそんなにかくことがなく、しかし疲れは覚えた一日を過ごしました。

 

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緑と青の対比 春日山遊歩道にて