私がキリスト者になって、いつの頃か思い出せませんが、キリストの復活は私の出来事であると考えるようになりました。だから私は、キリストの復活を真剣に信じるようになりました。
ロマ書の6章にこのような言葉があります。まず洗礼を受けた私たちは、キリスト・イエスに結ばれていることを教えられます。
ローマ 6:3
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
キリストに結ばれた私たちにとって、キリストの死と復活は私の出来事でもあると5節が語ります。
ローマ 6:5
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。
3節、5節を合わせて読むと、キリストの死と復活は、私の死と復活でもあることがわかります。
私が死んだことについては6節です。
ローマ 6:6
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。ローマ 6:7
死んだ者は、罪から解放されています。
私たちがキリストと共に死んだことは、私たちが罪の奴隷とならないためであるとあります。そして私たちは罪から解放されているというのです。
キリストの復活にあやかるとどうなるのでしょうか。
ローマ 6:4
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
私たちは新しい命に生きることになるというのです。キリストの復活は、今、この世において生きるキリスト者の歩みを根本的に変える出来事であると教えられます。