クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の大いなる恵み

 同じ聖書箇所を読んでも、その時の自分の状態によって感じたり教えられることが異なります。聖書は老人にもメッセージを伝えてくれます。今ローマ人への手紙を少しずつ味わっています。最近読んだのは8章29~30節です。

8:29~30
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

 注目するのは「神は前もって知っておられた者たち」「神はあらかじめ定められた者たち」です。「まえもって」「あらかじめ」とはどういう意味でしょうか。これは世の初め、神が世界を造られる前と言ってよいと思います。似た聖句があります。

エフェソ 1:4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました

 天地創造の前に、神は「私たち」を愛して、選ばれたとあります。私たちとは誰のことでしょうか。キリスト者です。神は前もって、私たち(キリスト者)のことを知っておられたというのです。神は私たちを愛し、キリスト者になるように選ばれたというのです。

 しかし、私たちはキリスト者になるように強制されたわけではなく、私たちは教会に行くことをよしとして礼拝に通い、通う中で洗礼を受ける志を与えられ、洗礼を受けてキリスト者になりました。

 ここには二つの命題があります。第一は、私たちはキリスト者になるように神に選ばれていた。神によって定められていたということです。第二は、私たちは自分の自由な決断によってキリスト者になったということです。私たちは誰にも強制されないで信仰者になりました。この二つの命題は矛盾しているように見えますが、共に真理であると私は信じます。

 先日、ロマ書8章29~30節を読んで、自分が信仰者になったのは、神の選びがあったこと、自分が神に愛されていたからだとあらためて思いました。神の大いなる恵みによって、今自分はキリスト者としてここにいるのではないかと思いました。人生最大の恵みと、感謝の思いに導かれました。

 天地創造の前に神は私のことを知っておられた、そんなことがありえるのか、と思う人もいるでしょう。天地創造の前、私は存在していません。この歴史には、無数の人間が誕生し死にました。数え切れない人間の中にあって、神はなお私のことを知っておられたと信じる、それは盲信ではないか、と思う人もいるでしょう。

これは途方もないデマか、それとも人間の思いを遙かに超える神の真理なのか。私は聖書は真理を語ると信じますから、それは神の大いなる恵みと感謝を持って受けとめ、神を崇めます。

チカラシバ 近くの里山で