クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

礼拝説教 何を喜ぶのか

 昨日説教奉仕をしました。以下、原稿です。読んでいただければうれしいです。
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旧約聖書 詩編4編 7~9節
新約聖書 ルカ福音書10章17~20節
説教 何を喜ぶのか
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詩編4編 7~9節
恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください。
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです。
 
ルカ福音書 10章17~20節
七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
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0.導入

→詩篇4篇8節を読みます。
「人々は、麦とぶどう酒を取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください」。
若い頃、この詩篇を読んだ時、これは自分の祈りだと思いました。
この「それにもまさる喜び」、
それは信仰によってもたらされる喜びだと思いました。
それがどんなものか分かりませんでしたが、
その喜びを受け取って生きていきたいと思いました。
今日説教のテーマは、キリスト者は何を喜ぶのか、です。

1.72人は帰ってきて

→今日の聖書に「72人は喜んで帰ってきて」とあります。
ルカ福音書の10章の最初に、イエスは72人を任命し、
御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ遣わしたとあります。
今日の聖書では、この72人が戻ってきたのです。

→実はルカ福音書9章で、イエスは12人を遣わしています。
聖書にはこう書いてあります。

ルカ 9:1
イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、
病気をいやす力と権能をお授けになった。
そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、
・・・

→イエスは弟子たちに悪霊に打ち勝ち、病気を癒やす力を与えて
弟子たちを派遣したのです。
そして神の国を宣べ伝えさせたのです。
弟子たちが遣わされた町や村には、
病気で苦しんでいる人、悪霊につかれて苦しんでいる人がいました。
弟子たちは病人を癒やし、人々を苦しみから救いました。
そして「神があなたがたと共にいて、あなたがたを苦しみから救いました。
これからは神と共に生きるように」と宣べ伝えたのです。
神の御支配の中を、つまり神に守られて、神に導かれて
これから生きていきなさいと宣べ伝えたのです。
神の国、それは神の御支配を意味します。
神の御支配があることを信じ、神の御支配の中を生きる、
そこに幸いがあると弟子たちは宣べ伝えました。

→72人も同じ働きをするようにイエスに命じられたと思います。
10章9節で主イエスはこう命じました。
行った先々の「町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」。
その働きを終えて72人は戻ってきました。

2.72人の報告

→彼らは喜んで帰ってきて、イエスに報告します。
「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」。
彼らは、悪霊に取りつかれた人たちから悪霊を追い出したのです。
そして自分たちにもこんなことができるんだとうれしかったと思います。

→9章では12人、イエスの12弟子が派遣されました。
この時弟子たちは悪霊を追い出し、病気を癒やす力を与えられました。
彼らの活動については、「至るところで福音を知らせ、病気を癒やした」と書かれています。
しかし悪霊を追い出したという報告はありません。

→12弟子が戻ってきてしばらくして
イエスが3人の弟子を連れて山に登りました。
三人の弟子は、そこでイエスの姿が変わったのを見る不思議な体験をします。
山の麓では、悪霊に取りつかれた子どもが残された9人の弟子たちのもとに
連れて来られます。
弟子たちは悪霊を追い出すように頼まれたのですが、
追い出すことができませんでした。

→だから、72人の人たちは、自分たちが悪霊を追い出せたことを
大いに喜んだと思います。

→この報告を受けてイエスが言いました。

10:18
「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」。

→サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
それはサタンの力が失われたから、サタンの支配下にある悪霊も力を失い、
72人が悪霊を追い出すことができたのだと
イエスが説明したことになります。
さらに19節。

10:19
蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、
わたしはあなたがたに授けた。
だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。

→あなたがたに敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を与えた
だからあなたがたは悪霊を追い出せたし、
使命を無事に果たすことができたのです、とイエスは言われたのだと思います。
そしてイエスは驚くべきことを言います。

10:20
しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。

→弟子たちは悪霊を追い出すことができた、と浮かれていたのでしょうか。
イエスは72人を派遣する時、「神の国はあなたがたに近づいた」と語るように命じました。
彼らが帰ってきた時の報告は、悪霊追放の報告がだけでした。
神の国が近づいたと語った時の人々の反応が報告されてもよかったと思います。
72人にとって、悪霊を服従させることができたという体験は
特別な体験でした。忘れられない体験でした。
誇らしい体験だったかもしれません。
しかしイエスは「喜んではいけない」と命じました。

→イエスはなぜ、喜んではいけないと語ったのでしょうか。
二つの理由を考えることができると思います。
第一の理由は、マタイ福音書7章でイエスはこう言っています。

マタイ 7:21
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

続いて

マタイ 7:22~23
かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

→これは世の終わりにおける最後の審判の時のことです。
イエスの名によって悪霊を追い出すことができたとしても
その後の行いによっては、救いに入ることができないことがあるのです。
だから「悪霊があなたがたに服従するからといって喜んではならない」とイエスは言われました。

第二に、キリスト者は何を喜ぶべきかを知って欲しいのです。
キリスト者はいつも喜んでいることができるのです。
イエスは言いました。
「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。
これは天に自分の名が書き記されている、それは自分がうれしい状態にあること、祝された状態にあることをを意味しています。
自分が喜ばしい状態にあることを知ることが大事なので、
悪霊を追い出せたことを喜んで満足するようなことが
あってはならないと戒められました。

3.何を喜ぶのか

→イエスは72人に対して、
あなたがたは本当に喜ぶべきことを知らないでいる
と言われたように思います。
ここで私は一つの聖句を思い出します。
テサロニケの信徒への手紙一5章16節です。
「いつも喜んでいなさい」、です。

→いつも喜んでいなさい。何を喜ぶのでしょうか。
喜ばしい出来事ではありません。
人生において、いつも喜ばしいことが起きているので
いつも喜んでいられるということはありません。
神を知らない人に「いつも喜んでいなさい」という聖書の教えは、
愚かな教えにみえるでしょう。
いつも喜んでいることができるのは、
自分が喜ばしい状態にあるからです。

→「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。
天にあなたがの名が書き記されている、これは
信仰者として喜ばしい状態にあることを意味しています。
「天に名前が書き記されている」とはどういうことでしょうか。
ここには一つの書物があって、
そこには救いに入る人の名が書かれていると理解できます。

→新約聖書では、この書物を「命の書」(フィリピ4:3、黙示録3:5)
あるいは「小羊の命の書」(黙示録21:27)と呼んでいます。
この書物は、神の国に迎えられる人の名が記された名簿です。
書かれていない人、あるいはその名が消された人は滅びます。
イエスは、この書に名前が書き記されていることを喜びなさい」と教えました。

4.最も喜ぶべきこと

私たちにとって最も喜ぶべきことは何でしょうか。

→ヨハネ福音書3章16節を読みます。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

→「独り子を信じる者が、一人も滅びないで」とあります。
つまり人には滅びる可能性のあることが教えられます。
しかし独り子を信じる人は永遠の命を与えられると告げられます。

人生で一番大事なことは、永遠の命を得ることです。
救われて、神の御国に入ることです。
こんな聖書の言葉があります。

マタイ 16:26
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか

→全世界を手に入れても、死んだ後、滅ぶのであれば、何の得があろうか、
というです。
聖書はこの世界には終わりがあり、
終わりの時、最後の審判という神による裁きのあることを教えています。
罪を犯す者は神の国に入ることはできず、滅びます。
人間は誰もが罪を犯しており、神の国に入る資格を持っている人は一人もいません。
そこで神は救い主イエスをこの世に送って下さいました。
イエスを信じる者は罪を赦され、救いに入れられ、神の国に入ることを許されます。
イエスを信じる者は救われます。
この救いを得ることはとても大切です。

→人はイエスを信じ、洗礼を受けます。
洗礼を受けた人は、命の書、小羊の命の書に名前が書きしるされます。

→またエフェソの信徒への手紙はこう書かれています。

エフェソ 1:13~14
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

→福音を聞いてイエスを信じた人は、聖霊で証印を押されたとあります。
キリスト者は洗礼を受けた時、賜物としての聖霊を与えられています。
それは神の国に入ることの保証書だというのです。

→このようにキリスト者には救いが約束され、天にその名前が書き記されているのです。
言い換えると命の書、小羊の命の書に名前が書き記されているのです。
そのことをイエスは喜びなさい、と命じるのです。
それは言い換えると、キリスト者とされていることをいつも喜びなさいということと理解します。
キリスト者は、自分がキリスト者であることを喜ぶのです。
今日も明日もキリスト者ですから、
今日も明日も喜ぶのです。
そんなことが可能なのでしょうか。
可能です。
皆さんは、既に喜んでおられるのではないでしょうか。

→キリスト者は神に祈ることができます。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者は聖書から真理の言葉を知ることができます。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者は讃美歌を歌い、神を賛美できます。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者はキリストというぶどうの木につながっています。
キリスト者はキリストにつながり実を結ぶことができます。
キリスト者はキリストにつながっている、
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者は罪を犯します。
でもみ言葉に従い、聖霊に導かれて生きる時、
罪から清められていきます。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者には兄弟姉妹と共に礼拝する喜びがあります。
兄弟姉妹と共に神に仕え、教会に仕える喜びがあります。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者は、互いに赦し合いなさいとの教えに生きます。
キリスト者は互いに愛し合い、敵意、憎しみを越えて愛の関係を築くことができます。
だから、キリスト者であることを喜ぶことができます。

→キリスト者はその名が天に書き記されており、
神の御国に迎えられる希望が与えられています。
だからキリスト者であることを喜ぶことができます。

→私たちはキリスト者とされたこと、キリスト者として生きていること、
このことをいつも喜ぶことができます。

→皆さんにもキリスト者とされたことの喜びがあると思います。
皆さん自身、キリスト者とされ、キリスト者として生き、
また生かされている喜びが何であるか、
確認してみませんか。

→キリスト者は何を喜ぶのか、
キリスト者とされていること、
キリスト者として生きていることを喜ぶことができます。
悲しい時も、苦しいときも、それにもかかわらず、
いつも喜んでいることができます。
キリスト者の幸いがここにあります。
祈ります。