クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 午後、素晴らしい天気となった。青空が空いっぱいに広がっていて、まぶしい。午後、『老いを生きる』(加藤常昭著)の読書会。高齢化した教会は、高齢者が喜んで奉仕できる教会にしたら良い、との指摘は考えさせられる。


 日曜日の夜、教会員が亡くなったとの連絡があった。前もって亡くなった場合の葬儀は、葬儀社の会館を利用しておくことに決めてあった。遺体は会館に搬送するということなので、会館で待ち合わせをすることにした。とりあえず前夜式と葬儀の日程を決める。月曜の朝九時半に葬儀の具体的な打合せをすることにして帰宅。危篤の状態が続いていたので、ある意味、心は落ち着いた。落ち着いたというより、これからなすべき事に対処するとの心が定まった。葬儀が終わるまで、葬儀のことしか考えることができなくなる。


 一人暮らしのお年寄りで、折に触れて家庭訪問していた方だった。葬儀が終わって、自分のできる最善をして天に送ることができたと感じて、疲れは残ったが、さわやかな気持ちが残った。しかしキリストの体の手足をもぎ取られるような悲しみは残る。


 葬儀の一つの目的に、遺族に慰めを祈ることがある。今回ご遺族はクリスチャンではなかった。よい葬儀だったと思えることが、遺族の慰めになることをあらためて知った。そのことのために労することも牧師の務めであると知る。