サムエル記下12章7~10節にこう書かれています。
ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ』」。
イスラエルの王ダビデがバテシバという人妻と姦淫を行い、その結果、彼女は子を宿しました。この罪を隠そうとダビデは策を弄しますがうまく行かず、結局彼女の夫ウリヤを戦場で死なすように仕向けました。そしてウリヤは死にました。ダビデは自分の罪は隠しおおせそうに見えましたが、家臣のナタンがダビデの罪を告発しました。
ダビデの罪は姦淫と殺人を犯したことにありますが、神さまはダビデに対して「あなたは主の言葉を侮った」と告げます。ダビデは主の言葉を侮り、主の意に背くことをしました。ダビデは神ご自身を侮ったのです。
神を侮り、神の言葉を侮ったダビデ。なぜそうなったのでしょうか。その理由は、彼が王という地位につき、いつの間にか高慢になっていたからです。最高の地位にある者は何でも自分の思い通りにしたいと考え、そして思い通りにできますので、思い通りにします。そこに罪への落とし穴があります。
ダビデは高慢になり、行くところまで行ってしまいました。策を弄して失敗したとき、ダビデは自分が何をしたのか気がつき、罪をなぜ悔い改めることができなかったのかと思います。ダビデは「我に返る」(ルカ15:17)ことができず、罪を重ね、殺人の罪を犯してしまいました。
思い上がったダビデはいわば「罪人モード」に入ってしまい、罪を隠蔽しようとし、それがうまく行かなくなると、殺人の罪を犯しました。そして自分が間違ったことをしているとは気づかなかったのです。
ダビデの罪は、高慢の罪、神を侮り、神の言葉を侮り、神の御心に背く罪。姦淫、殺人。
そこで思います。人が神の前に生きる自分を保つためにはどうしたらよいのか。それは日々聖書を読む、そこに尽きると思いました。私たちは「罪人モード」に入り、我を失うことがないようにするためには、聖書に日々親しむことの大切さを教えられます。