変なタイトルですね。こんなタイトルを思いついたのは先日説教の準備をしていて聖書を読んでいたときでした。フィリピの信徒への手紙3章17~21節を説教箇所としました。その21節はこうです。
「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」。
コリント一15章には、私たちは朽ちない体に、霊の体に復活するとパウロは書いています。ヨハネの手紙一の3章2節には
「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」。
コリント二3章18節には
「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」。
以上の聖句をまとめると私たちは御子に似た者に、あるいは御子と同じ姿に復活して神の国に迎えられることになります。
フィリピの信徒への手紙の言葉を読みながら、「そうだ、このみ言葉を持っていこう!」と思ったのです。死んで向こうへ行くとき、「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」とのみ言葉を携えていこうと思ったのです。そして「ああ、この御言葉通りだった」とかの日には喜びたいと思いました。
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2月23日G教会で、フィリピの信徒への手紙による説教を行いました。説教サイトにアップしました。
時間のある時、是非、聞いてもらえるとうれしいです。
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