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隠退牧師 holala によるブログ

神の戒めの受けとめ方

 神の掟、神の教えをどう受けとめたらよいのでしょうか。守らなければならないのでしょうか。聖書の代表的な神の掟、戒めは十戒です。

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。

 最近殺人事件のニュースが頻繁に流れてくるように感じています。どうして人は簡単に他者を殺すのでしょうか。私はそんな気持ちになったことがないので分かりません。命を奪われる人は本当に気の毒です。オレオレ詐欺を始め、いろいろな詐欺もまたニュースとなっています。詐欺、それは人の物を盗むことです。十戒は現代にも通じる神の戒めです。

 またイエスは律法の専門家から、律法の中でどの掟が最も重要ですかと聞かれ、二つの戒めを挙げました。イエスは答えました。

・心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
・隣人を自分のように愛しなさい

 十戒とイエスの答えた二つの戒めが守られれば、この世界は平和な世界になることは間違いないと思います。

 私は思います。何のために神は戒めを与えられたのでしょうか。神の戒めは私たちを祝福するために与えられたと私は信じています。神の戒めは祝福の源なのです。だれもが人を殺さず、人の物を盗まなければ、それだけでも私たちは安心して生きていくことができます。

 私は神の戒めを守らなければならないと自分に言い聞かせることはしません。神の戒めは私を祝福するものですから、進んで守りたいと考えるので、守らなければとは考えません。「守らなければ」と考えると生きることが窮屈になります。

 もし守りたくないなら、守らなくてもいいと思います。守らなければ祝福を得ることができません。裏を返せば、好ましくない事態を招くことになります。その事態を招いた責任は自分にあります。また好ましくない事態において、他者を傷つけるような結果をもたらした場合、それは神の目に罪となり、神の裁きを自分の身に招く結果となります

 そうなるとやはり、神の掟は守らなければならないのでしょうか。

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