2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
葬儀の知らせを聞き、老いを生きることの恵みと厳しさを思わされました。教会が慰めの共同体であってほしいと切に願います。
十字架の言葉は力、福音は信じる者に救いをもたらす神の力と聖書にあります。キリストを信じる者として、この力をどのように受けているのか、言葉に書き表します。
聖書が語「肉」は私たちの性質です。この「肉」が私たちに罪を犯させます。罪との戦いは、この肉との戦いです。
肉の人とはどんな人か。キリストを信じていない人は皆、肉の人。罪の支配下におかれている。
悔い改めの実を結ぶことは大切です。自分が犯した罪を犯さないようになること、つまり罪に勝利することは立派な悔い改めの実です。
具体的な罪に勝利し、その罪を犯さなくなるための方法、いくつかのヒントです。
ふと何のために生きているのかと思います。私の「心」の言葉。そして私の「頭」は、信仰によって人生を最後まで生きると言います。
罪から解放されたら知っておきたいこと。 私たちは聖なる者となることを目指していること 私たちは神との交わりに生きること
御言葉によって生きる方法としてのディボーションを知ったことは、私の信仰者人生の財産です。
聖書は神の存在を証明しようとはしていません。かみがいかなるかたかをかたり、このような方を神と信じるか、と私たちに問いかけているように思います。
罪から解放されるために、悔い改めが必要です。私たちは罪深い存在なので、清い心を神様に造っていただくことが必要となります。
罪を犯したことに気づいた時に取る態度は三種類あります。気にしない、後悔する、悔い改める。
『竜の道』『半沢直樹』。人気役者が出るドラマです。いずれも復讐をテーマとしています。悪人が懲らしめられ痛悔です。でも・・・
第二の罪認識、それは自分自身が罪深い存在であるとの認識です。ダビデは祈りました。「母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです」。
罪認識には②種類あるように思います。一つは、具体的に神の御心に反すること銅を行った問う罪認識です。
人が罪の支配下に置かれたのはなぜでしょうか。ある意味謎です。創世記の3章の物語は答えを与えてくれます。
この世界には、私たちに罪を犯させる力が働いています。人はみな、罪の支配の中におかれていると聖書は告げます。
私はこの時代に生かされていることについて、神さまの恵みを感じています。特に牧師として歩むことを考える時。
栗須は罪から解放された存在です。罪から解放されたとは、どのような意味でしょうか。
罪から解放されて生きるために、私たちが信じる神さまは、救いの恵みとして解放を与える神であることを信じたいと思います。
最近の探しものが見つかった話しと今探している霊的な探しものについて。
葬儀の時に慰めの言葉として天国での再会を語ることへの違和感の理由がわかりました。
新聞を読んでいて、ふと目にした言葉がきになりました。よく見たら、新聞零細小説の第一回目の文章でした。