2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧
キリスト者としての成長を考えるとき、自分はぶどうの木の枝と考えるのもよいと思います。ヨハネ福音書15章にある主イエスのたとえです。
年をとって説教をするときに気をつけなければならないのは、キチンを声を出すことです。喉の筋肉を使わなくなったせいか、普通にしゃべると声が出にくいというか、声がかすれるのです。
神さまの戒めを守るという点で、私はクリスチャンに二つのタイプがあるのではないかと思っています。・・・
キリスト者に与えられた「いのち」に必要なものは霊の乳です。霊の乳とは神の言葉のことです。
いのちは生命力府溢れています。キリスト者は神さまから与えられた「いのち」の働きにゆだねて成長します。
ルカ福音書15章の放蕩息子の歩み。私たちの信仰成長の一つのパターンかもしれません。
説教奉仕をしたG教会での出来事。聖なるものを見たという体験。
昨日久しぶりに礼拝説教奉仕をしました。説教の紹介です。
私はキリストに結ばれた時、その人は真のキリスト者になるのだと考えています。
人間の生活は習慣から出てきているように思います。よい習慣を作ることはよい人生を生きることにつながります。
「神はキリスト者に神の戒めを行う力を与え、キリスト者は神の戒めを守ります」。うれしい言葉ではないでしょうか。
私たちは神の戒めをどのように受けとめたらよいのでしょうか。神の戒めは私たちを祝福するものとしてあると私は信じます。
私はクリスチャンが「神さまの戒めを守らなければならない」と語るのを何度も聞きました。なぜ、守らなければならないのかと考えるのでしょうか。
今日の出来事。
キリストに結ばれたキリスト者の特徴として、神を知り、神を喜び、神を誇ることがあります。このことを主イエスの語られたたとえが明らかにしています。
洗礼を受け、礼拝生活、信仰生活を続け、聖書を読み学び、み言葉に従う歩みの中で信仰者は成長していきます。
ローマ 8:1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
キリストによって救われたキリスト者はどんな人かを描写します。
キリスト者は地上の生涯を終えると神の国、神さまのもとに行きます。住む場所が変わります。それと同じように私たちがキリストを信じ、キリストに結ばれると住む場所が変わります。
キリスト者は、律法の下にはいない、律法に対しては死んだ者、律法から解放されている、とあります。どういうことでしょうか。
聖書が告げる救いとは滅びからの救いだと書かれています。ロマ書を読んで滅びを語ることをためらってはいけないと思うようになりました。
放蕩息子の物語をあらたな視点から思いめぐらしてみました。
日曜午後、双子の孫と一緒の時間を過ごしました。