クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰

信仰の原理

信仰生活でやっかいなのが「実感」です。実感がないとなかなか信じられないと問題があります。信じたいけど信じられない、信じられないけど信じたい、と悩みます。

信じるとは考えること

「まだ信じないのか」とイエス様は言われました。信じきれない私たちはどう行動したら良いのでしょうか。

神への渇き

讃美歌の歌詞に感激する友人。平静な自分。この違いって何?

神の戒めは守らなくていい?(続き)

神の戒めを守ろうとした時、心が抵抗することがあります。信仰の成長のチャンスです。

気落ちした者を力づける神

神さまは、気落ちした者を力づけてくださる神さまです。神さまに信頼して祈ります。

神との和解

パウロは罪の赦しという言葉を使いません。なぜなのか血疑問に思います。彼は先を見ているのです。

老いを生きる信仰

老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。

私が説教で使うたとえの紹介(2)テレビのたとえ

私が使うオリジナルのたとえの第二弾。テレビの修理の話しです。

私が説教で使うたとえの紹介(1)カエルのたとえ

私が説教で使ったカエルのたとえを紹介します。

信仰義認をめぐって(3)イエス・キリストにおける神の救いの約束

イエス・キリストを信じる者は義とされる。よく知られた教えです。イエス・キリストを信じるとはどういうことか、深く考えてみます。

信仰義認をめぐって(2)義とされなかった人々

信仰によって義とされなかったイスラエルの民は約束の地に入れませんでした。

信仰義認をめぐって(1)義とされたアブラハム

信仰によって義とされた人物にアブラハムがいます。「信仰によって」とはどういうことでしょうか。

キリスト者の人生とは

きりすとしゃのじんせいをひところでいえば、旅。神の国を目指す旅です。そのことを教えてくれるのが出エジプトの出来事です。

信仰によって義とされるとは

信仰によって義とされる。何度も聞いた言葉です。どう受けとめたらよいのでしょうか。

聖書が教える信仰とは何か

年をとって悟ったこと、学んだこと。信仰とは何か。固い言い方をするなら、神との契約に生きること。聖書の言葉で言えば、神との交わりに生きること。

老いの中にある平安

年老いた私が「わたしについてきなさい」とのイエス様の声を聞きます。どのように生きたらよいのか思いめぐらしました。

A長老とCさんの対話(4)

A長老とCさんの対話。神さまの祝福をどのように求めるのか。

イエス様の権威

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と語られたイエス様の言葉。どう受けとめたらいいのか。

キリストの復活を信じる

キリストの復活をめぐる問答です。どう信じるのか、どのようにして信じたのか。

神の前に正しい者(続き)

信仰の初心者と先輩の会話。キリスト者は神の前に正しい者であることをめぐって

神の前に正しい者

信仰によって義とされたことをめぐる会話。

信仰に立とう

試練によって私たちの信仰は本物になっていくとの聖書の言葉の真理をあらためて知った入院・手術。

信仰に成熟した人って?

成熟した信仰者ってどんな人なのでしょう。それは神の知恵を語る人です。神の知恵とは、世界創造時に神が持っておられた計画のことです。

聖書が伝えること

聖書はそもそも何を伝えようとしているのでしょうか。自分の信仰を考えるとき、聖書が伝えることにも耳を傾けます。

クリスチャンの歩む道

芯の通ったクリスチャンの道とは何でしょうか。それはキリストに似た者を目指す道だと思います。

讃美歌を原詩で味わう

讃美歌280「わが身ののぞみは」の原詩を味わうことに楽しみがあります。

実はイスラエルも(8)信仰の継承

イスラエルの王国時代、信仰の継承が為されませんでした。それは信仰が神との交わりに生きるものであり、信仰が個人的なものであるという側面があったからです。

実はイスラエルも(5)そもそも信仰に生きるとは

約束の地に入ったイスラエルの民の歩みから三つのことを覚えます。信仰の継承、偶像礼拝、聖書が伝える信仰の特徴。