聖書
聖書が神の言葉であると信じることは、聖書によって自分を解釈することです。
私の理解を超えた聖書の言葉、不可解な言葉の紹介です。魅力的な言葉です。
神の教え・戒めは何のために与えられているのでしょうか。それは私たちの祝福のためだと考えます。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください マタイ福音書の主の祈りを思いめぐらしています。今日は11節の言葉を思いめぐらしました。キリスト者ならだれもが知っている言葉です。 必要な糧とは食物だけではなく、生きていくのに必要なものすべてと理解しま…
私たちの心は、神のみ心に従いたいという心と自分の好きに生きたいという心が戦う戦場です。聖霊は私たちを神のみ心に従うように導き、肉は自分の思い通りに生きるように働きかけます。
御言葉によって生きる方法としてのディボーションを知ったことは、私の信仰者人生の財産です。
クリスチャンは新しい命を与えられ神との交わりに歩みます。この交わりは信仰者の死を越えて続きます。それ故、永遠の命と呼ばれます。
神さまから与えられた命は聖書の言葉、神の言葉に親しむことによって維持されます。栄養失調になり命が萎えたり、死んでしまったりすることもあります。
神さまから与えられた命は、神の言葉によって栄養を与えられ、私たちを生かします。
聖書はそもそも何を伝えようとしているのでしょうか。自分の信仰を考えるとき、聖書が伝えることにも耳を傾けます。
神が人間を造られ時、目的がありました。その目的に従って生きるために、聖書を通して神のご意志を知ることは大切です。
神さまは、平凡な私たちの平凡な生活にも導きを与えてくださいます。聖書を思いめぐらす中で、聖霊が教えてくださいます。
私たちはなぜ聖書を読むのでしょうか。色々な目的がありますが、自分に対する神さまのご意志を受け取るために読む、という大切な目的があります。
聖霊の働きかけを受けるのは聖書を読むときです。聖書を読み聖霊の導きを受ける、信仰者にとって大切なことです。
私たちの思いは行いとなり、行いは習慣となり、習慣はやがて性格、人格となります。 み言葉を思い、み言葉を行うことを習慣化するとみ言葉による人格形成ができます。
夫婦で聖書通読をしている信仰の兄弟からのメールを読み、模範にしたいと思いました。
「聖書を読もう」との呼びかけが教会で余りなされていないような気がします。そのことに私は危機感を感じます。
私の好きな聖句。 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
信徒の忘れられない言葉 いつ死んでもいいです。
実に、信仰は聞くことにより、 しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 ローマ10:17
「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」。福音の言葉です。
私の好きな、そして指針となる祈りの聖句です。
私の好きな聖句。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 そして地の果てに至るまで、私の証人となる」。
私の好きな聖句の紹介。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)。最初の自由は、思い煩いからの自由。
私の好きな聖句。「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」。
私の好きな聖句の紹介です。「主は世界中至る所を見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」。(歴代誌下 16章9節)
聖書を読まないと心が干からびてくるような。聖書には謎解きの楽しみもあります。
聖句の章と節。興味深いです。3章16節は、わたしのすきなすうじです。
私はいつも神の導きを得て歩んでいますと言うと、「神の導きがそんなにはっきりと分かるのですか」と聞かれます。聖書には、神に導かれて歩んでいる人たちが出てきます。エジプトを出たイスラエルの民は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれて旅をしまし…
私はサラリーマンを十年してから牧師になりました。1981年4月に三重県の鳥羽教会に赴任し、1989年4月に静岡県の御殿場教会に、2002年4月に金沢元町教会に赴任し、2017年3月に引退しました。36年牧師としての働きをしてきました。そして今、痛感することの一…