聖霊
聖霊の働きかけを受けるのは聖書を読むときです。聖書を読み聖霊の導きを受ける、信仰者にとって大切なことです。
聖霊は、目的を持って私たちのうちに住んで下さいます。聖書を神の言葉と信じ、神の言葉によって歩むように、私たちを導かれます。
聖霊は神の力、パワーではなく、人格を持つお方です。私たちのうちに住み、私たちの人格を重んじてくださいます。
洗礼を受けたキリスト者、クリスチャンの心には聖霊が住んで下さいます。聖霊を内に宿す人、これもクリスチャンのアイデンティティーです。
私たちの思いは行いとなり、行いは習慣となり、習慣はやがて性格、人格となります。 み言葉を思い、み言葉を行うことを習慣化するとみ言葉による人格形成ができます。
聖霊に対して、これを見ようとし、知ろうと努力することが大切と知ります。
私の好きな聖句。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 そして地の果てに至るまで、私の証人となる」。
青い鳥を探して旅に出たチルチルミチル。私も彼らと同じだったのかもしれません
聖霊の導きを求めての最終回。 大切なことは、神の言葉を審理とする信仰であり、これもまた聖霊の導きによることでした。
聖霊をどう信じるのか。それが課題です。キリストとそのすべての恵みを受けるように導くのが聖霊だとハイデルベルク信仰問答は教えています。私たちはその恵みを聖霊を信じて受け取っているのかどうか。
異言という聖霊の賜物を受けることは素晴らしいことかもしれません。でも愛がなければ空しいと聖書にあります。聖霊に導かれて神の言葉に生きる、これが一番大切なことと考えるようになりました。
キリスト者は聖霊との交わりに歩みます。それは神さまの言葉を慕い求め、神さまの言葉を思いめぐらし、神さまの言葉によって生きることです。聖霊はすべてのキリスト者を導いてくださいます。
1996年超教派の集会に参加してデボーションを学ぶようになりました。聖霊に導かれて生きる歩みが始まりました。
聖霊を求めて、聖霊の満たしを求めて歩みの結果として二つのことを学びました。 1.聖霊は私のうちに住んでおられると信じること。 2.聖書を真理の言葉として信じること。
聖霊が私のうちにおられることを確信できる日が到来しました。聖霊の内住の確信です。
聖霊を受け、力ある奉仕をするためにはるために何をしたらよいのか。本で学び努力をしました。
妻の友人が通っている教会の牧師の説教に心惹かれ、説教テープを取り寄せて聞きました。夏休みを利用して、その教会に行きました。その牧師も聖霊のバプテスマを受け、異言を語る牧師でした。
異言を語る試みを行って思ったこと。
無知な者が限られた情報をもとにして、大それた目的を目指すとどうなるのでしょうか。無知なものとは私のことで、大それた目的とは、聖霊の交わりに生きることがどういうことかを知ることです。
47歳の頃、牧師として煮詰まってしまいました。そして聖霊信仰に取り組むときが来たように受けとめました。
生きて働かれる神さまを知る体験、それが「聖霊を求める歩み」の出発点となりました。
ペンテコステ礼拝の礼拝説教。 聖霊なる神はあなたの内におられます、これがメッセージでした。
使徒信条に「われは聖霊を信ず」とあります。一体何を信じるのでしょうか。聖霊なる神さまがわたしの内におられる、このことを信じることが一番大切だと私は考えています。しかも大いに強調しなければならないと思います。
丹羽鋹之(としゆき)牧師が魂の飢え渇きを癒やすために、聖霊を求めて祈る姿勢に、私は共感します。
聖霊体験の紹介です。『砕けたる霊魂の祈り』(丹羽鋹之著、憩のみぎわ社)からの引用です。
聖霊に関する聖句を集め分類すること、聖霊に関する本を読むことから、聖霊に導かれる生活の探求は始まりました。
聖霊について私が大切にしている聖句の紹介とそれにかかわる思いを書きました。
1988年韓国に行き、韓国の教会生活を体験してきました。一番心に残ったことは、聖霊の働きを受ける信仰生活をすること、聖霊の導きを受けて説教をすることでした。聖霊の働きを求めようと強く自覚して帰国しました。
鳥羽教会時代、聖霊について考えさせられた出来事です。
「あなたの話には力がない」との手紙を受け取りました。牧師となってまもなくの経験です。聖霊のバプテスマを受けるように促されました。