クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

新年の抱負

新年最初の祈祷会で、新年の抱負を分かち合いました。年をとると特ぬ抱負もありません。

恵みの高き嶺(続き)

「恵みの高き嶺」。聖歌にある曲です。恐れや疑いから解放された信仰の境地としての恵みの高き嶺。憧れます。

恵みの高き嶺

聖歌にある「恵みの高き嶺」という曲が最近のお気に入りです。恵みの高き嶺、そこに登ることに憧れます。

令和6年能登半島地震

令和6年能登半島地震が起きました。このことを覚えて祈った祈りです。

年末を迎えて

今年を振り返っての思いを書きました。

自分の心はどうなっている?

信仰に生きる時、疑いという影がつきまとうものだと考えてきました。でもふと思うのです。なぜ疑う心があるのだろうか。

礼拝でパニックになった

クリスマス礼拝の説教奉仕をしました。礼拝が始まる直前、説教原稿がないことに気づいて頭はパニック。

礼拝説教 永遠の命に生きる

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。この御言葉による説教です。

教会を考える(9)狭い福音理解

福音を狭く理解することが起きていないだろうか。福音とは罪の赦しのことであるという施米理解。

教会を考える(8)福音宣教

教会の使命の第一は福音を宣べ伝えることにあります。私には一つの危惧があります。

教会を考える(8)福音宣教

教会の使命の第一は福音を宣べ伝えることにあります。私には一つの危惧があります。

訃報を聞いて

昨日は一ヶ月ぶりにA教会の礼拝に説教奉仕をしました。教会に着くや役員の方から、訃報がありますと言われ・・・。

この道を歩く

「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」。私も、この道を歩んできたことを思います。

祈りについて思うこと

祈りについて思うこと。何を祈るか、そこにキリスト者としての自分がどのような信仰者であることが現れる、と。

教会を考える(7)励まし合う教会

教会で行われていたアルコール依存症のミーティングに参加し、分かち合うことの意義を知りました。励まし合う集会です。

礼拝説教 神との平和

礼拝説教です。イエス・キリストを信じ信仰によって義とされた人の祝福について聖書に聴きたいと思います。

教会を考える(6)信仰者を育てる

聖書の学びは信仰者を成長させます。しかし成長させる学びは、簡単ではありません。

教会を考える(5)信仰者を育てる教会

教会はキリスト者の信仰を成長させることが大切だと気づきました。

教会を考える(4)聖書を力とする教会

超教派の集会に参加し、聖書の読み方を学び、聖書を信仰の力とすることにより、伝道できる教会を形成したいと私は考えました。

ガザを覚えての祈り

イスラエルのガザ軍事攻撃の再開を覚えての祈り

教会を考える(3)友だちを誘いたくなる教会

妻の友人から妻に「私が今通っている教会は友だちを誘いたくなる教会なの」という電話がありました。その狭隘の礼拝に出席しました。

主の祈り、うかつだった

主の祈りを思いめぐらし、気がついたこと。

教会を考える(2)信仰の方向性

鳥羽教会時代に自分の信仰的立ち位置が明確になりました。改革派の信仰に立ちました。

教会を考える(1)牧師となった日

教会について考えたいと思います。牧師として最初に教会に赴任したときのこと。

旅日記

説教奉仕で旅した日記メモ

祈りについて考えたこと

信仰生活を始めてから、私には分からないことが二つありました。聖書をどう読んだらいいのか、祈りはどう祈ったらよいのか、です。

祈りにむなしさを覚えるとき

i祈りにむなしさを覚えるときがあります。どうしましょう?忍耐強く祈ることが大切かな

今日気づいたこと

神は、人間に自由を与えたので、原則として人間の行動を妨げることはしないと。それを踏まえて祈りました。

ひとりごと

ひとりごと

自分と異なる他者との共存

サイードが求めたのはイスラエルとパレスチナという二つの国家ではなく、ユダヤ人もパレスチナ人も互いに相手の存在を認めるひとつの国家をつくることだった。