2019-01-01から1年間の記事一覧
人というのは自分の間抜けさに気づかずにいて、ある時突然気づかされるということがあるのではないでしょうか。私の間抜けさの紹介。
信じるとはどういうことでしょうか。信じてよいとの確かさがあるから信じるのでしょうか。
私たちが、聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者になることが神さまの御心です。この御心に生きるとの決断は大切な決断です。
私とイエス様の関係は羊と羊飼いの関係です。この関係に生きてこそ、イエス様を信じているといえると思いました。
私たちが信仰者として生きる時、さまたげるものがあります。「実感」です。実感できないものは信じられない、と考え、信仰がそこでストップしてしまうのです。
私の好きな、そして指針となる祈りの聖句です。
神さまは、私たちの罪を赦し義としてくださいます。そして私たちを聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者として下さいます。それゆえ、神の前に私たちは義です。
罪を繰り返し犯して歩む信仰者は神の前に義なのでしょうか。
老いの生活は、時に試練。そして積み重ねてきた経験で立ち向かいます。そんなことを考えさせられるこの頃です。
私の好きな聖句。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 そして地の果てに至るまで、私の証人となる」。
私の好きな聖句の紹介。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)。最初の自由は、思い煩いからの自由。
「友あり 遠方より来たる また楽しからずや」。しんこうのともがならにきてくださり、ひとときの交わりの時を持ちました。幸いな時でした。
日々祈る祈りがあります。それは私が召されるとき「よくやった。わたしのもとに来なさい」と神さまが言ってくださるようにとの願いです。
聖書には頑なな心を持つファリサイ派の人が登場する。私たちももしかしたら、かたくなさをもちあわせていないだろうか。
私の好きな聖句。「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」。
私の好きな聖句の紹介です。「主は世界中至る所を見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」。(歴代誌下 16章9節)
聖書を読まないと心が干からびてくるような。聖書には謎解きの楽しみもあります。
私がタバコの奴隷だった話しです。もちろん解放されました。
罪から解放されるための正解を私は知りませんが、必要と思われることを紹介します。
罪からの解放・自由、それは具体的な罪からの解放であり、信仰者に体験される者です。
「私は罪深い者です」との告白から抜け出ようとしない人たちがいます。罪深くても赦しが与えられているからというのです。本当にいいのでしょうか。
罪とは何でしょうか。 神の教えに染むことです。 神をないがしろにする心です。
誘惑に打ち勝つことは大切なことですが、むずかしいことです。しかし神さまの御心を大切に思うとき、誘惑から解放されていきます。
礼拝で讃美歌を歌い、その歌詞に共感できるとき、うれしいですね。賛美する人たちと共に共感できたら、なおうれしいです。
罪からの解放。個人的な経験からの証しです。
キリストの福音は、私たちを罪の奴隷状態から解放し、私たちに自由を与えます。
「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」。この喜びを私は祈り求めています。
詩編86編4節の言葉をめぐって。「わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです」。
老いを生きる私は、死ぬ準備をしていますと、近況を語りました。3つのことを私は心がけています。
隠退教師(牧師)の会に出席して感じたこと、思わされたこと。老いは試練の時。