クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2019-01-01から1年間の記事一覧

間抜けな自分に気づく

人というのは自分の間抜けさに気づかずにいて、ある時突然気づかされるということがあるのではないでしょうか。私の間抜けさの紹介。

信じるとはどういうことか

信じるとはどういうことでしょうか。信じてよいとの確かさがあるから信じるのでしょうか。

信仰によって義とされる(4)

私たちが、聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者になることが神さまの御心です。この御心に生きるとの決断は大切な決断です。

イエス様と私の関係

私とイエス様の関係は羊と羊飼いの関係です。この関係に生きてこそ、イエス様を信じているといえると思いました。

信仰によって義とされる(3)

私たちが信仰者として生きる時、さまたげるものがあります。「実感」です。実感できないものは信じられない、と考え、信仰がそこでストップしてしまうのです。

私の好きな聖句(5)使徒言行録4章29-30節

私の好きな、そして指針となる祈りの聖句です。

信仰によって義とされる(2)

神さまは、私たちの罪を赦し義としてくださいます。そして私たちを聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者として下さいます。それゆえ、神の前に私たちは義です。

信仰によって義とされる?

罪を繰り返し犯して歩む信仰者は神の前に義なのでしょうか。

妹を見舞うため東京へ

老いの生活は、時に試練。そして積み重ねてきた経験で立ち向かいます。そんなことを考えさせられるこの頃です。

私の好きな聖句(4)使徒言行録1:8

私の好きな聖句。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 そして地の果てに至るまで、私の証人となる」。

私の好きな聖句(3)ヨハネ8:32

私の好きな聖句の紹介。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)。最初の自由は、思い煩いからの自由。

友あり 遠方より来たる

「友あり 遠方より来たる また楽しからずや」。しんこうのともがならにきてくださり、ひとときの交わりの時を持ちました。幸いな時でした。

必ず祈る祈り

日々祈る祈りがあります。それは私が召されるとき「よくやった。わたしのもとに来なさい」と神さまが言ってくださるようにとの願いです。

神の出来事に対して心を開く

聖書には頑なな心を持つファリサイ派の人が登場する。私たちももしかしたら、かたくなさをもちあわせていないだろうか。

私の好きな聖句(2)マタイ5:7

私の好きな聖句。「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」。

私の好きな聖句(1)歴代誌下16:9

私の好きな聖句の紹介です。「主は世界中至る所を見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」。(歴代誌下 16章9節)

聖書を読む楽しさ

聖書を読まないと心が干からびてくるような。聖書には謎解きの楽しみもあります。

罪からの解放・自由(8)

私がタバコの奴隷だった話しです。もちろん解放されました。

罪からの解放・自由(7)

罪から解放されるための正解を私は知りませんが、必要と思われることを紹介します。

罪からの解放・自由(6)

罪からの解放・自由、それは具体的な罪からの解放であり、信仰者に体験される者です。

罪からの解放と自由(5)

「私は罪深い者です」との告白から抜け出ようとしない人たちがいます。罪深くても赦しが与えられているからというのです。本当にいいのでしょうか。

罪からの解放・自由(4)

罪とは何でしょうか。 神の教えに染むことです。 神をないがしろにする心です。

罪からの解放・自由(3)

誘惑に打ち勝つことは大切なことですが、むずかしいことです。しかし神さまの御心を大切に思うとき、誘惑から解放されていきます。

讃美歌を味わい喜ぶ

礼拝で讃美歌を歌い、その歌詞に共感できるとき、うれしいですね。賛美する人たちと共に共感できたら、なおうれしいです。

罪からの解放・自由(2)

罪からの解放。個人的な経験からの証しです。

罪からの解放・自由(1)

キリストの福音は、私たちを罪の奴隷状態から解放し、私たちに自由を与えます。

宿題となっている聖句

「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」。この喜びを私は祈り求めています。

わたしの魂が慕うのは

詩編86編4節の言葉をめぐって。「わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです」。

死ぬ準備をしています

老いを生きる私は、死ぬ準備をしていますと、近況を語りました。3つのことを私は心がけています。

試練が多い老いの時期

隠退教師(牧師)の会に出席して感じたこと、思わされたこと。老いは試練の時。