クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書黙想

十字架の主の叫び

十字架の上でのイエスの叫び,「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を黙想しました。

主イエスの悲しみとは

主イエスはゲッセマネの園で、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と語られました。主は何を悲しまれたのでしょうか。

ユダの裏切り

マルコ福音書のディボーションを続けています。先日、14章10~11節を読みました。これを読んで思いめぐらします。

主イエスの厳粛な言葉

主イエスは弟子たちに世の終わりが来る前に大きな苦難が訪れると語られました。

やもめの献金

今日はマルコ福音書の12章でやもめの献金の話しを読みました。この出来事は何を伝えようとしているのか、と思いめぐらします。

モーセの十戒

聖書が語る罪について考えていて、ふと思いました。モーセの十戒の戒めはなぜ、今あるの10の戒めなのかと。

人生航路の第二段階(36)神はなぜ、信仰によって義とするのか

イエス・キリストを信じる者は神の義を与えられるとあります。ではなぜ、神は信じる者を義と認められるのでしょうか。

心惹かれる讃美歌の言葉

最近讃美歌の歌詞が心に響くようになりました。うれしく思っています。今日は313番を歌いました。

神をどう見るか

放蕩息子の物語をあらたな視点から思いめぐらしてみました。

聖霊によれば神の子

聖書は不思議な書物です。読んだことのある箇所を読んで、新たな発見をすることがよくります。

信仰による従順

パウロはキリストを宣べ伝えます。パウロは、異邦人つまりユダヤ人でない人たちを「信仰による従順」へ導くという使命を与えられました。「信仰による従順」とは何でしょうか。

聖書を読む生活(5)神の導きを求める(つづき)

1.聖書に聞く 聖書を読む時のポイントとして二つのことを紹介しました。 神はいかなる方かを知る。 神がキリスト者に求める生き方を知る。 これをAと呼びます。 2.自分を思いめぐらす 次に自分について思いめぐらします。 自分はどんな状況にあるのか。 …

聖書を読む生活(3)自分で読む(つづき)

私が聖書を読む二つの目的の紹介です。生きるために読む、神の導きを得るために読む、です。

イエスの復活の意義

マルコ福音書16章1~8節、イエス様の復活記事を読んでの黙想です。

人々から侮辱される主イエス

十字架につけられ、人々からあざけられた主イエスはどんな気持ちだったのでしょうか。

十字架を背負うイエス

十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエス様。どんな気持ちで十字架を背負っていたのでしょうか。

主イエスの思い

受難節を過ごしている今、イエス様はどんな思いで苦難の時を過ごしておられるのか、思いめぐらしました。

目を覚ましていなさい

ゲッセマネの園で祈るイエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」とお命じなりました。しかし弟子たちは寝入ってしまいました。

死ぬばかりに悲しい

ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。

主の晩餐(つづき)

主イエスが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたのは何のためだったのか。三番目の意義について紹介

主の晩餐

主イエスは弟子たちと最後の食事をしました。その中で弟子たちに裂いたパンを与え、杯を与えた主イエス。何のために?

ユダに芽生えたイエスへの不信

今年の受難節はマルコ福音書を読んでいます。今日は14章10~11節。ユダの裏切りの場面です。イエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダはイエス様を裏切り、イエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけました。そしてイエス様を引き渡す機会を狙…

わが身を振り返るパウロ

クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。

戸惑うパウロ

復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?

完全な者になりなさい

使徒パウロは「完全な者になりなさい」と勧めます。驚くような勧めです。どう受けとめたらいいのでしょうか。

人々の不信仰に驚くイエス

今日はマルコ福音書6章でイエス様が故郷のナザレにお帰りになり、安息日に会堂で教えられた箇所を読み、思いめぐらしました。

人を赦すということ

赦しなさいとのイエスの教えがあります。いつ、赦すのでしょうか。

天の国を待ち望む

わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのであるとイエス様は教えられました。

振り返って思う神の導き(6)聖書に聞いて

多くの信仰者も自分の人生を振り返れば、神さまの導きを思い出すことができると思います。そこで思います。神さまが私たちを導かれるなら、いつも導かれて歩みたいと。

ただ信じなさい

主イエスは「ただ信じなさい」と、幼い娘が亡くなったとの知らせを聞いたばかりの会堂長のヤイロに語りました。ただ信じなさい。