クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いを生きる

老いの生活の目標 

老いの生活は達成を目指すのではなく、日々の生活を感謝をもって終えることに目標をおけばよいと知ります。

自分の弱さを知っていい

弟子たちは皆つまずくと主イエスが語ったとき、弟子たちは「そんなことはしない」と否定しました。

いつ死んでもいい

「いつ死んでもいい」と題して3回目の思いを書きました。

死と向き合って

老いを生きる者の思い。死と向き合う思い。

賛美は力

賛美は力。老いを生きるとき、賛美を通して希望をたしかにしたいと思います。

束縛される思い

私たちは、自分は自由にものを考えていると思っているのではないでしょうか。しかし案外私たちは束縛されていると思います。

老いを生きる

あらためて思います。老いを意識して生きることはストレスであり、緊張をもたらします。

ゆだねて生きる

若い頃、他の信仰者が祈りの中で「ゆだねます」と祈ることに私は違和感を感じていました。そして老いた今。

讃美歌294番を味わう(つづき)

讃美歌294番の英語の歌詞に共感を覚えます。 And when my task on earth is done, 地上での私の使命が終わるとき、

ただ信じなさい

主イエスは「ただ信じなさい」と、幼い娘が亡くなったとの知らせを聞いたばかりの会堂長のヤイロに語りました。ただ信じなさい。

弱さを誇る(続き)

弱さを起こると聖書にあります。甥から来る衰えを弱さとするなら、これを誇ることができるのでしょうか

真剣に信じて生きる人

どんな迫害にも負けずに伝道したパウロ。真剣に信じて生きる人の姿はほかの信仰者の励ましになることを思います。

まだ見ぬすばらしき光景

訃報を受け取ると、死が足音を響かせて迫って来るような気がします。そのような時は・・・

祈祷会での証し 2021.12.8

生きるのに疲れたという思い、自分は何のために生きているのかという思いで目覚めるのは一種の老人病と考えてよいのではないかと考えました。

物憂い朝

今朝は物憂い気持ちで目が覚めました。年をとったからだと思います。このような朝、どう一日を始めたらよいのか。

キリストにより豊かにされた私(7)永遠を思う心

キリストによって豊かにされた私の6回目は<永遠を思う心>です。永遠を思う心が湧き上がってきたのは、年をとってからです。

御国への一日の旅路を歩む

私は毎朝祈るとき、今日も御国への一日の旅路を歩むことができますようにと祈ります。一日の終わりには感謝。しかし・・・

かけがえのない一日

当たり前の毎日を当たり前として受けとめるのではなく、かけがえのない一日と受けとめたいと思うこの頃です。

臨終を迎える人のための祈り

臨終を前にして床についている自分は、どんな祈りをしてもらいたいのか、そんなことを考えました。

なんか生きるの疲れた

朝起きると、なんか生きるの疲れたな、との思いが湧いてきました。

秋の日に思うこと(続き)

そこで思うことは、何が起きても、何があっても一日の終わりには神さまをたたえ、感謝できるなら、それが幸いなのではないかと。

秋の日に思うこと

秋の日に思うこと。老いを生きる日々とは、何のために生きるのかを確認する日々です。

亡き両親を思う

東京の教会から召天者記念礼拝の案内が届きました。両親のことを思い出しました。

老いを生きる日々

老いを生きる日々の現実と老いを生きる良さについて

日々新しく主をたたえよう

生きる意味を見失う老人はどのように信仰に生きる?

体を大切にする

ストレッチをして筋肉の衰えをゆるやかにし、健康を保つのも大切なことですね。

老いを生きる信仰

老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。

安らかに世を去る

これが起きれば、世を去ってもいいと思えることがあるのでしょうか。

パウロに憧れる

祈祷会では聖書に登場する人物について、参加者が順番に話をしています。今回は、私の番で、パウロについて話しました。

老いと祈り

何もできなくなったと語る老いた信仰者が聞く言葉。「祈ることができますよ」。