老いを生きる
何もできなくなったと語る老いた信仰者が聞く言葉。「祈ることができますよ」。
年老いた私が「わたしについてきなさい」とのイエス様の声を聞きます。どのように生きたらよいのか思いめぐらしました。
歳をとり、テレビで健康番組を見るようになりました。健康に注意することも老いにある者の大切な仕事に思えます。
自分なりにキーワードを念頭に置いて聖書を読むと、気づきが与えられます。今回与えられた気づきは・・・
いつ死んでもいいという心境になれたみたいです。どうしてそうなれた?
讃美歌「こころを高くあげよう」の歌詞が与えるイメージを大切にする、それが私の終活。
ゲッセマネの園でイエス様は「わたしと共に目を覚ましていなさい」と弟子たちに命じました。これは私に向けられた言葉です。
イエス様は聖書に示された神さまの救いの計画に身を投じました。聖書を我がこととして読むことを教えられます。
物憂い思いで目覚めた一日。色々なことがありました。
愛は決して滅びない。私を愛する神さまの愛も滅びない。
散歩をしながら道端に咲いている花を探しています。春が来るというしるしを見たいからです。
神の栄光を現す、これはキリスト者の生きる目的です。老いて、この課題に取り組む思いに導かれました。
年の暮れを迎えた思いの紹介です。聖句が心に残ります。
年をとるとは、新しい経験を積み重ねること。老信徒の語った言葉が思いだされます。「手術が必要です」。ドキッ。
中国から日本へ仏教を伝えるために渡来した鑑真の布教に対する思い。
死を越える楽しみ、それが喜んで死ぬことを可能にするのではないか。
葬儀の知らせを聞き、老いを生きることの恵みと厳しさを思わされました。教会が慰めの共同体であってほしいと切に願います。
私は今三つのことに挑戦しています。常にチャレンジできる、うれしいことだと思います。70歳を超えていますが。 1.ペン回し ボールペンを手で持ち、指をクイッと動かしてペンをぐるりと回転させるあのペン回しです。上手な人のペン回しを見ていると神わざに…
死に備えることを教えるルターの文章との出会い
成し遂げられたと語って十字架のイエスは息を引き取られた。使命を終えて父なる神のもとに帰るイエス。私もかくありたい。
新型コロナウィルスの脅威に対する恐れ、ストレスは祈りによって解消しよう。
朝目覚めたときの思い。今日も「老いの一日」を過ごす。明日も「老いの一日」の繰り返し。
信徒の忘れられない言葉。 先生、老いるとは、日々新たな経験をすることなんですよ。
今生きるその「今」を幸せにしたい。これから訪れるどんな「今」も。
誰とも口をきかない日々。今はそれを恵みと受けとめることができるのはありがたいことです。
老いの生活は、時に試練。そして積み重ねてきた経験で立ち向かいます。そんなことを考えさせられるこの頃です。
「友あり 遠方より来たる また楽しからずや」。しんこうのともがならにきてくださり、ひとときの交わりの時を持ちました。幸いな時でした。
隠退教師(牧師)の会に出席して感じたこと、思わされたこと。老いは試練の時。
パソコンを使って書いた日記を一つにまとめていんさつし、読み返したいと思っています。
同じ話をする老人になってしまった?でも淡々とこの事実を受けとめよう。老いても生きる目標は与えられる。